米マイクロソフトの現役エンジニアとしてAI開発に携わる牛尾剛氏が、最新刊『部下としてのAI 世界一流エンジニアの進化術』を上梓した。ベストセラーとなった前著『世界一流エンジニアの思考法』から2年――、突如訪れたAIエージェントの劇的な進化は、ビッグテックの現場にも激震を走らせていた。「誰も正解を知らない」カオスの中から這い上がった“逆転劇”の裏側に迫った。
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「楽したい」が最初の一歩だった
――もともとはクラウドサービスの専門だった牛尾さんが、なぜAI開発の部門に抜擢されたんですか?
牛尾 数年前から趣味でAIを使っていたんです。例えば、僕の仕事で一番面倒くさかったのがインシデント(障害)対応で、クライアントからの問い合わせが定期的に回ってきます。もちろん世界中のサービスエンジニアが一次対応をしてくれるんですが、優秀な彼らでも解決できなかった難問だけが、僕らのところに舞い込んでくる。
検証にはとにかく時間をとられるので「これはAIにやらせよう」と思って、AIが自動で障害の原因調査をしてくれるアプリをAIでつくったんですよ。自分が楽してコーヒーを飲んでいられるように(笑)。
――今のようなAIエージェントが普及する前に、いち早く開発に使っていたんですね。
牛尾 もちろん当時のモデルはまだ賢くなくて、たとえば調査用のクエリ(命令文)を自分で作らせようとしても全然ダメで、あらかじめ人間が全部定義をして「このパラメーターを渡したら動く」といった形でプログラミングする必要がありました。
それでもずいぶん作業が楽になって、社内でAIの使い方をレクチャーしたり「こんなこともできるよ」と実演したりしていたら、ある日マネージャのアニルーダから「君はAIにパッションがあるから、AIをやる部署に行かないか」と抜擢されたんです。
それが約1年半前でしたが……そこからが地獄でしたね(笑)。それまでは趣味の延長で、自分の仕事を減らすためだったから気楽だったんですよ。でも専任になると成果を出さないといけないから、かなり追い込まれました。
――当時のマイクロソフトはどんな状況でしたか。
牛尾 外から見ると、OpenAIといち早くタッグを組んでいたマイクロソフトは「AIで尖っている会社」でしたが、内情はかなりの手探りでした。これはマイクロソフトの公式見解ではなく、あくまで私の実感ですが、普通なら社としての計画があって「半期でこのくらいの成果を出そう」と目標を設定しますが、当時はリーダーたちも含めて「何をすればAIでバリューが出るのか」が定まらず、試行錯誤の毎日でした。
異例なことに、組織のトップが「重複する取り組み(duplicate effort)もOKだ」と宣言して、重なる領域があってもいいから各自でどんどんプロトタイプをつくって、その中でうまくいったものを育てる、という方針でした。未知に挑むわけですから、何が正解かなんて誰にもわからない。もう屍だらけでしたよ(笑)。今から考えると世界でも有数の大企業が、この姿勢でチャレンジするのは本当に素晴らしいことだと思います。
