『眠れぬおまえに遠くの夜を』(桐野夏生 著)

 あれ、これ誰が書いているんだっけ。翻訳風の文体も相まって、著者が誰だったか失念してしまうほど、韓国芸能界の強烈な風にさらされた。

「冬のソナタ」に始まり「愛の不時着」「イカゲーム」、BTSやTWICE――。今や私たちを魅了する韓流ドラマやKポップの数々。本書はそんな韓国芸能界を舞台にした桐野夏生の新作だ。同国の歴史、芸能界の実情を背景に展開するスターたちの光と影を、貪るように読んでしまった。

 人気俳優、テミンが、かつて絶大な人気を誇ったボーイズグループの一員、ナダンについて語る物語である。実はテミンはアメリカ留学中に、家族で渡米して貧しい生活を送っていたナダンを知っていた。当時テミンは高校2年、ナダンは3つ下だった。やがてナダンはアイドルとして17歳でデビューした。テミンは大学の映画学科を卒業後、33歳で俳優になり、ナダンの絶頂と凋落を見つめていくことになる。

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 テミンは1998年、中学生で留学する。当時はIMF危機のまっただ中で韓国経済は破綻寸前だった。一家離散も多く、海外に渡った家族もいた。ナダン一家はこの口だ。テミンの家は裕福で、留学の道を選んだ。その理由には兵役事情も絡むが、そもそもこういう歴史を知らなかった。

 また、韓国で活躍している俳優の多くは、大学の演劇科を出ているという。芸能界にも同国の学歴社会のすさまじさは影響を及ぼしている。芸能界でも学閥に頼ることができる。アメリカの大学を卒業したテミンは学閥こそないが、ある方法でのし上がった。

 その他芸能界の状況が、さまざまな出来事を通して活写される。激しい競争社会の中から怪物級の俳優が次々と現れるし、ファンを失うことを恐れ結婚もできない。SNSでは真偽不明な情報があふれ、バッシングもすさまじい。なんと姦通罪がごく最近まであって、不倫への視線がとんでもなく厳しい。逃げ場がなく、芸能人の自殺も多い。

 テミンは十分注意を払って暮らす。本当の自分を見せないからこそ演技も光るのだから、俳優は自己顕示欲より自己隠蔽の欲の方が強いと思ったりもする。テミンが著者に乗り移ったかのように、その心情描写は真に迫っている。

 一方、こうした軛(くびき)から自由なのがナダンだ。幼くして渡米したため地縁、血縁、学閥とは無縁で自身の圧倒的な光で輝く。しかし、それゆえの栄光と挫折が彼を襲う。事務所の制裁と、追随するマスメディア。それでも才能の片鱗を見せる姿に胸が締めつけられる。

 韓国芸能界の深みにたっぷり翻弄され、スターでいることがいかに大変か思い知った。けれどなおテミンからは色気が匂い立ち、ナダンのまぶしいほどの魅力を惜しんだ。実在の韓流スターに安易に重ねはしないが、推し活するならこの状況を呑み込んでおきたい。

きりのなつお/1951年、石川県生まれ。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。99年『柔らかな頬』で直木賞、2004年『残虐記』で柴田錬三郎賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、23年『燕は戻ってこない』で毎日芸術賞、吉川英治文学賞を受賞。

ないとうまりこ/1959年生まれ。毎日新聞の記者として書評をはじめ様々な記事を手掛け、現在は文芸ジャーナリストとして活動。

眠れぬおまえに遠くの夜を

桐野 夏生

文藝春秋

2026年4月22日 発売