地元・同世代のライバルたち

――岐阜県各務原市出身でいらっしゃいます。岐阜からは同じ各務原の高田明浩五段がいらっしゃいますし、女流棋士では山口仁子梨女流1級、稀良莉女流初段の姉妹、岩佐美帆子女流初段がいて、ここ6、7年でのプロ入りが続いています。岐阜には強い子どもが育つ環境があるのでしょうか。

磯谷 私が小3の時に最初に通ったのは、岐阜県内の数か所で場所を借りて運営している将棋(普及)指導員・柴山芳之先生の教室でした。

 週に4~5回、月曜日はここ、火曜日はあそこと場所を替えて開催されていて。地元の各務原市内での開催日はもちろん、少し遠い別のところでも母に車で送ってもらって、毎回のように通っていました。

ADVERTISEMENT

 先生とも指して、詰将棋を解いて、子ども同士でたくさん指しました。私以外にも週4~5回通っている子どもは何人もいたと思います。そんな環境だから、強い子どもが出てきたのかもしれません。

©︎文藝春秋/杉山秀樹

 高田先生は同じ時期にその教室に通っていました。地元から遠い愛知の栄将棋教室(道場)にも通うようになって、各務原から高田先生と一緒に電車に乗って行ったこともありました。

――高田五段のお父様が地元の新聞に連載していたエッセイにも、同じ各務原の同学年のしっかりした女の子として、磯谷先生がよく出てきましたね。高田五段はどんなお子さんでしたか。

磯谷 とにかく負けず嫌いで努力家でした。いつだったか、朝5時に起きて棋譜並べをしていると聞いて、まねできないと思ったことがあります。

 東海研修会では高田先生はどんどん昇級し、奨励会に(小6で)合格して、そこでもあっという間に昇級していきました。最初は同じくらいの強さだった気がするのに、気が付いたら手が届かないくらい差をつけられて、「あれ?」という感じでした。

――東海研修会には、奨励会に入る少し前の藤井聡太竜王・名人(当時小学4年生)もいたのですよね。

磯谷 同じ学年ではあるのですが、私が一番下のF2クラスで、それもアマチュア初段ギリギリくらいの棋力で入った時、藤井先生はB1か一番上くらいのクラスでした。

 一番上のクラスには齊藤裕也先生(四段)もいて、藤井先生はクラスの近い人と話していたのかもしれません。一番下の私が話しかけられる存在ではなかったですし、私も人見知りでした。

――ただ、磯谷先生も小3で将棋を始め、週4~5回も教室に通って1年で初段なら、十分上達は早いですし、かなり熱心に将棋に取り組まれたのではないかと思います。

磯谷 周りに強い人、上達が早い人がいたので、自分では全然そう思っていませんでしたね。

 磯谷家は勉強ができる家系で、3歳上の姉は中学受験でトップの学校を受けていました。私は勉強が苦手でコンプレックスがあって。

 でも、両親とも、私は将棋を頑張っていれば勉強は頑張らなくてもいいみたいな感じになっていて。それで将棋を頑張ったようなところがあります。