「もう来なくていい」

 しかし、その自由劇場から入団9年目の1984年、「もう来なくていい」と手紙が届き、あっさり辞めさせられる。それから1年ほど、同時期に劇団を辞めた大谷亮介らと集まってはトレーニングをしていたが、やがて1986年に劇団「東京壱組」を旗揚げする。以来、コピーライターだった原田宗典と放送作家の吉田秀穂を座付作家に据え、座長の大谷が俳優兼演出家として、1996年に解散するまで年2回ほど公演を行った。余は俳優とともに宣伝や資金調達を任され、公演のたびメディアや広告代理店などを駆け回る。

 東京壱組は、原田宗典が人気作家になったこともあり、公演のたび観客が増え、余は看板女優として注目される。それと並行して映画やドラマ、CMにも出演するようになった。

舞台とは180度違う映画の世界

 映画の世界は演劇とはまったく違い、それがまた新鮮だったらしい。映画『噛む女』(1988年)ではヌードシーンもあったが、神代(くましろ)辰巳監督は《舞台と百八十度違って、威圧的じゃなくて優しかった。心に入りこんでくるような演技指導をしてくださって》と、自由劇場時代の演出家とはまるで待遇が違った(『週刊文春』前掲号)。

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映画『噛む女』(1998年)

 映画初主演作で作家の椎名誠が監督した『うみ・そら・さんごのいいつたえ』(1991年)では、最初に台本を開いたら、各部門のスタッフの名前が並ぶなかで真っ先に食事担当者の名前が載っていたのが印象深いという。沖縄・石垣島でロケに入ると《映画のセットとは関係なしに、立派なバーが突如作られ、そこで毎晩のように宴会が開かれていたことも思い出に残っていますね》と10年以上経っても語るほど、現場の雰囲気がよかったようだ(『サンデー毎日』2012年9月9日号)。