朝廷軍にとっては輝かしい制圧の痕跡を残すために採用された地名なのかもしれないが、現代人なら、血のつく地名は避けるだろうし、そもそも死にまつわる地名など縁起でもないと感じるはずだ。

しかし古代人の感覚は違うのである。

日本神話から読み解く「醜パワー」

ここで私が重要であると思うのは、こうした悲劇が実際にあったかどうかというより、こうした悲劇が地名由来譚として堂々と語り継がれているという事実なのだ。

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血や死といった、現代人から見ると不吉でネガティブに見えるものを、なぜ古代人は地名に残すのか。

と考えた時、古代人が“醜”というネガティブに見える概念を名前につけていることが頭に浮かぶ。

オホクニヌシノ命の別名はアシハラノシコヲであるし、開化天皇の母はウツシコメノ命、その兄はウツシコヲノ命、崇神天皇の母はイカガシコメノ命である。今でこそ「醜い」という意味がメインの“醜”だが、かつては猛々しいとか力強いという意味があった。それは、死という何ものにもあらがえないパワーからきていると私は考えている。

イハナガヒメは、“甚凶醜きに因りて”(たいそう醜いからというので)、天孫ニニギノ命に実家に送り返されたが、そんな彼女は人間の生死を司っていたため、天孫の寿命は短くなった(『古事記』)。こうしたイハナガヒメの能力こそが醜パワーであると、拙著『ブス論』で主張したものだ。

ネガティブなことばに力を見出した

“醜”だけではない。

“倉臣小屎”(『日本書紀』孝徳天皇白雉元年二月十五日条)、“藤原小屎”(『本朝皇胤紹運録』)など、汚いはずの“屎”を名につけた例もある。

古代人は、肥やしともなるクソに再生のパワーを感じていたのだろう。

同じように、血や死にまつわるものは、次なる生の根源だったり、生ける者を力づけるパワフルなものとしてとらえられていたのではないか。

これが時代が下ってくるにつれ、ことば通りのネガティブな意味、つまらぬものという意味合いが強くなってくると、神に魅入られぬよう、あえて良くない名前を子どもにつけるといったことも行われたのだろう。