――当時は、都内でプロ雀士・雀荘店長をしていたのですよね。

松岡 中学生のときに麻雀にはまって、大学生になってアルバイトができるようになってから、雀荘で働き始めたんです。そこで出会った人たちから、「そんなに麻雀が好きなら、プロを目指してみたら」と言われて。

「大好きな麻雀をしながらお金もいただけるとは、なんてすごい仕事だ!」と思って、プロを目指すようになりました。21歳のときにプロ雀士になり、24歳のときには、雀荘の店長も任されるようになったんですよ。

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――まさに、麻雀漬けの生活だったのですね。

松岡 麻雀が楽しくてしょうがなかったのはもちろん、女流プロとしてお仕事をいただける機会も多かったですね。ありがたいことに、雀荘にもたくさんのお客さんが来てくれていました。おかげで、20代で月80万円前後は稼げていたと思います。

現在は八丈島で70平米・家賃3万円の家で暮らしている(本人提供)

将来に対する不安やストレスが積み重なり心身が不安定に

――当時は、どんな生活をしていたのでしょうか?

松岡 神田の家賃15万円の1Kのマンションで、一人暮らししていました。ホテルみたいにきれいな内廊下のマンションで、すごく気に入っていたんですよ。

 ただ、雀荘の店長をしながら、全国の雀荘のイベントにゲストとして参加したり、プロの対局に出たりする毎日を送っていたから、しっかりした休みはほとんどありませんでした。

――そんな忙しい生活のなかで、どうやって旅にでていたのでしょうか?

松岡 店長だったので、シフトを自由に組めたんですよ。イベントや対局がある日と雀荘のシフトをできるだけまとめて、2、3日のまとまった休みを作るようにしていたんです。

 ただ、店長だからこそ休みの日に連絡が入ってくることも多くて。旅先でトラブル対応に追われることもあるし、そうでなくても「いつ電話が来るかな」と気が休まらなかったです。次第に「このままでいいのかな」って気持ちが強くなっていきました。

――このままでいいのかな、というのは。

松岡 ちょっと麻雀から離れたくなったんですよね。麻雀が好きな気持ちは、今も昔も変わりません。でも、中学生の頃から麻雀のことばかり考えていたから、麻雀の世界しか知らなかったんですよね。

 プロ雀士としてお仕事をいただけているうちはいいけど、「今後そうでなくなったら?」と考えるようにもなって。私よりも若くて才能のある女流プロが出てきたら、私の需要はどうなっていくんだろう、という不安もありました。

釣りを楽しむ松岡さん(本人提供)

――将来に対する不安が芽生えた。

松岡 あと、人前に出て話したり、大勢の人に注目されながら対局したりするのに、ものすごいプレッシャーを感じていたんですよね。

 写真集を出したり、撮影会を開催したりするタレント活動みたいなことに対して、「私はただ麻雀が好きだから、麻雀プロになったのに……」という思いもあって。

 将来に対する不安や、慣れないことを続ける毎日に、だんだんと心がすり減っていって。そんなときに、新型コロナウイルスが大流行して、心がポッキリ折れてしまったんです。