潤子さんもまた、着付けの講師として活躍し、現在も10人ほどの弟子を抱えている。かつては、二人で詩吟を習っていた時期もあったそうだ。

「お互いにね、プライベートは大事にしてるんですよ。そうしないとね、やっぱりストレス溜まっちゃうよね。タイムイズマネーじゃないけどさ。できるだけいろんなことをやらなくちゃ」

ちなみに、ゴルフにも挑戦したことがあるが、あっさりやめてしまったらしい。

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「『ゴルフやってんなら、仕事しとった方がいいや』って思っちゃって。ホールインワンより、パンが全部売れた方がうれしいし、すごいことだもん」

満面の笑みで言い切る姿を見たら、「仕事は趣味」という言葉が嘘ではないことが、実感として迫ってきた。

嫌な仕事でも、60年働き続けた原動力

さて、今は「仕事が趣味」と語る北原さんだが、もともとは「パン屋を継ぐのは嫌だった」そうだ。それでも家業に入ったのは、後継者である兄が、夜逃げ同然でいなくなってしまったためである。

「しょうがない。やるしかない」とロケットエンジニアの夢を諦め、パン職人の道に進んだわけだが、なぜ「勤続60年」を迎えるまで働き続けられたのだろうか。その理由は、幼い頃から体に刻み込まれてきた、仕事観にあった。

聞けば、小学6年生の頃から夜中の仕込みを手伝い、「嫌だな」と思いながらも、じゃがいもの皮を剥いていたそうだ。しかし、親の背中を見て育つうちに、気がつけば「働くことが当たり前」と思うようになっていたらしい。

「要するに、勤労の精神っていうの植え付けられたんだよね。男はね、ぷらぷらしてちゃいけないよと(笑)」

また、店頭や配達先でお客さんが喜ぶ姿を見ることがうれしく、50歳を迎える頃には「仕事が趣味」へと変わっていたそうだ。そうして真面目に働き続けてきた結果が、今の北原さんを形作っているのだろう。テレビ番組に取り上げられたのも、秋篠宮殿下をきっかけに皇室へパンが届けられるようになったのも、もしかすると単なる偶然ではないのかもしれない。