本稿では「誰も断らない医師」が抱える葛藤に迫る――。
「生きた証しが雑然と転がっている」訪問診療の現場
取材の日、水野さんが最初に往診に向かったのは、認知症の独居女性の自宅だ。少し前までは娘が半同居状態で世話をしていたが、内服回数を減らすなどして一人でも生活ができるようになり、母娘とも、今は生活も気持ちも落ち着いたという。
続いて、91歳の男性が住む府営住宅へ。男性はもともと外来に通っていたが、呼吸状態が悪くなって酸素治療をはじめ、訪問診療に切り替えた。以来、次第に外出をしなくなったという。水野さんは、このまま運動量が減って心身機能が衰えてしまうことを心配していた。
布団に横になり、テレビで甲子園の試合を見ていた男性に、水野さんは「(訪問)リハビリさんと一緒に外行ってみるのはどう? 今、桜きれいよ」と誘う。けれど、妻は「今はトイレに行くのがせいいっぱいです」と説明する。「どうしたもんかなあ」と水野さんがつぶやくと、男性は「こんなもんや」とかすかに笑った。
水野さんは「訪問診療の現場には、生きた証しが雑然と転がっている」という。そこに住む人同士の会話、仏壇の上にあった写真、見ているテレビ番組など、訪れた家ではありとあらゆるものが、その人の暮らしを物語る。
「病院で病院着を着ている患者さんを診るのとはまた全然違うよね。病院では家族構成も家系図みたいなものしか見ないやん」
往診先では、家系図には表れてこない関係性を感じ取る。その上で一貫して大事にしているのは、「何が患者(と家族)の希望なのか」ということだ。
とはいえそれは、簡単なことではない。これまで、医療の正義と患者の希望のはざまで度々苦悩してきた。
「相手の立場に立つ」――少年院から変わらぬ行動
30年前、水野さんが18歳の時に入った少年院で、何度面談を受けても達成できなかった行動目標がある。それは、「相手の立場になって考える」というものだ。
子どもの頃、叱られても何がいけないのか全く分からなかった。自分の中に痛みやつらさといった感情が湧かず、それゆえに人を傷つけることに抵抗がなかったという。少年院での面談を通じて、初めて「自分は人の気持ちが分からないんだ」ということに気がついた。