衆院議長、自民党総裁、外務大臣など要職を歴任した河野洋平氏が6月8日に死去した。その長男・太郎氏が、自民党総裁選で岸田文雄氏に敗北した2021年、月刊誌『文藝春秋』は洋平氏へのインタビューを行った。自民党総裁をつとめていながらも、なぜ洋平氏は総理大臣になれなかったのか。そして、息子・太郎氏へのアドバイスまで訊ねている(聞き手・篠原文也、構成・広野真嗣)。
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自分の最大の仕事は「政権復帰」
――洋平さんはそれ以前は「総理になれなかった唯一の総裁」と言われました。でも総理にあと一歩まで近づいた瞬間があるじゃないですか。1995年、自社さ連立政権の首相、村山富市さんが参院選大敗の責任を取って総理の座を譲りたい、と洋平さんに告げたそうですね。2度も総理の座を逃した父・一郎さんの悲願をつかむ好機が転がり込んできたのに、なぜ受けなかったのですか?
河野 いやいや、あの時は、とても党内がまとまらなかった。
――その反対を突っ切る気力は?
河野 出なかったね。
――奥様の武子さんが参院選の最中に亡くなる不幸も重なった。
河野 大変だった。やっぱりね。
ただ、振り返って見ると、僕のした一番の大仕事は、自民党が下野した10か月後の94年6月、社会党とさきがけとの連立をまとめ上げて政権に復帰させたことです。これは自民党の中で護憲など一貫してリベラルな主張を通してきた僕でなければ村山さんを説得できなかったという自負がある。自民党が政権与党に復帰するにはあの方法しかなく、まさにワンチャンスでした。自分が総理になるかどうかよりも、こちらのほうがはるかに重要な仕事でしたね。
