20代の終わり、突如テレビの世界へ飛び込むことになった阿川佐和子さん。待っていたのは、取材が気に入らないと生放送中であっても机をガンガン叩き出す「スパルタなボス」の怒声だった。半泣きになりながら、若き日の彼女が厳しい現場で学んだこととは? 最新刊『年とる力』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

阿川佐和子さん ©文藝春秋

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 父は晩年、新聞の訃報欄を見ては、嘆いておりました。母を呼びつけ、

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「おい、七十八歳で死んでる人がいる。嫌だねえ」
「今日の死亡欄は全員、俺より若い。次は俺の番だ」
「(中村)歌右衛門が亡くなったぞ」

 そう言ったときは驚いて、

「へ? お父ちゃん、歌右衛門さんと親しかったの?」

 すると、

「親しくない。とにかく、嫌だ」

 そんなに嫌なら最初から訃報欄なんか見なければいいのにと思うのですが、気になるらしいのです。そして、

「明日も葬式だ。今月はこれで三回目だぞ。嫌だねえ、ああ、嫌だ」

 広島の施設に入っている伯母が百歳の誕生日を迎えたときに、両親を連れてお祝いに行き、ケーキを挟んで話をするうち、伯母が、

「ヒロちゃん(父のこと)、あんたのお友だちは皆さん、お元気?」

 伯母が唐突に質問したのに対し、父が大声で、

「元気なわけがないだろう。遠藤(周作)も死んだ、吉行(淳之介)も死んだ。みんな、死んだ。全員、死んだ! 残っているのは三浦(朱門)と北(杜夫)だけ(その当時)だ」

 吐き捨てるように言ったので、百歳の伯母は「なに、その言い方」と笑っておりました。