「ベトナム戦争を象徴する写真」と言えば、何を思い浮かべるだろうか。代表的な写真は次の3点だろう。日本人カメラマン沢田教一が撮影した、川を泳いで渡るベトナム人の母子の姿『安全への逃避』。路上でゲリラ兵の頭を銃で撃つ瞬間『サイゴンでの処刑』。そして、道路を泣き叫びながら走る裸の女の子を捉えた『戦争の恐怖(ナパーム弾の少女)』。いずれもピュリツァー賞に輝いた写真だ。だが、半世紀を経てこの中の1枚に重大な疑義が生じている。その問題に切り込むドキュメンタリーが『名もなきジャーナリスト:「あの少女」を撮ったのは誰なのか』(ネットフリックスで配信中)。疑惑の1枚は、『戦争の恐怖(ナパーム弾の少女)』だ。

 1972年6月8日、サイゴンの北西50㎞にある小さな村を南ベトナム軍の爆撃機が誤爆。ナパーム弾による炎と黒煙が一本道を覆う。やがて衣服が焼かれ背中に火傷を負った全裸の少女が奥から逃げてきた。

「カメラを構えた時、彼女は腕を広げて走っていた」

ADVERTISEMENT

©佐々木健一

 その瞬間にシャッターを切ったと当時、AP通信の報道カメラマンだったニック・ウトは言う。この1枚の写真が反戦運動を喚起し、時のニクソン政権を揺るがした。翌73年に世界報道写真大賞を受賞。ニックは後に回復した“ナパーム弾の少女”キム・フックと共にローマ教皇への謁見も果たしている。彼はあの写真の撮影者として世界中で讃えられてきた。しかし、本作はそれらを根底から覆す驚くべき証言から始まる。

「あの写真を撮ったのは、ニック(・ウト)じゃない。撮影者はフリーの特派員だ」

 当時、サイゴンのAP通信で写真編集者として働いていたカール・ロビンソン。齢80を迎え、慚愧の念に駆られた彼は2022年12月、報道写真家の国際NPO財団へメールを送り、真相を公にするための調査協力を求めた。半世紀前、サイゴンのAP通信事務所で彼は何を見たのか。事務所のボスはピュリツァー賞を2度受賞した伝説のカメラマン、ホルスト・ファース。彼の言葉は絶対的だったという。あの日、ホルストは例の写真を一目見ると、

「これで決まりだな」

 と掲載を即決し、さらに写真に添える撮影者の名を、

「ニック・ウトにしろ」

 と指示したという。あの日、現場にはニックもいたが、彼の写真は横からのアングルで、少女を真正面から捉えた写真はフリーのカメラマンによるものだった。

 なぜ撮影者の名前を変えたのか。真の撮影者は本当に存在するのか。これほど重大な事実がなぜ半世紀も経って明かされたのか。次々と湧き上がる疑問。丹念な取材から浮かび上がるのは、権力の監視や真実の伝達を標榜するジャーナリズムの世界においてさえ、権威に執着し、権力に抗えない人間の悲しき有り様だ。

 一方で、事実報道の重さにも改めて気づかされる。圧巻は終盤に展開する3DCG解析だ。当時撮影された写真や映像をもとに時空間を立体的に再現し現場状況を詳らかにしてゆく。これによって、ぐうの音も出ないほどの真実が示される。

 だが、最大の衝撃はラスト。何を示されても自分の信じたいものを信じる。それが人間の性(さが)なのか……とため息が出ることだろう。

INFORMATIONアイコン

『名もなきジャーナリスト:「あの少女」を撮ったのは誰なのか』
ネットフリックスで配信中
https://www.netflix.com/jp/title/82069795