佐藤被告の凄惨な生い立ちと家庭環境
いったいこの歪んだ感覚はどこからきているのか。
2026年3月19日、佐藤被告の養父が情状証人として出廷し、佐藤被告の生い立ちや家庭環境などについて話した。
「紗希の母親とは紗希が1歳半のときに知り合い、2歳半から一緒に暮らし始めた。紗希も高校で寮生活していたし、私も紗希が小2のときから高1まで名古屋へ単身赴任していたので、離れていた時期もあったが、22歳までは同居していた」(佐藤被告の養父、以下同)
問題は母親の暴力癖だったという。
「機嫌がいいと仲が良いが、悪いと暴力を振るうことがあった。紗希はグーパンチで顔を殴られ、ゴミ箱を投げられて頭から出血したこともあった。ソロバンを使って指を骨折させたこともあった。『死ねー!』と言って包丁を持ち出してきたりするので、私が何をするんだと言って止めた。情緒不安定なところは今の紗希にそっくりで、紗希が高校に入った頃から3年ぐらい心療内科に通っていた。紗希が一方的にやられている状況で、児相に保護されたこともあった。紗希も精神的におかしくなり、リストカットしたり、オーバードーズをしたり、家や学校のものを壊すという問題行動もあった」(同)
佐藤被告も心療内科で何度もカウンセリングを受け、20歳までにAさんとは別の男性との間で刃傷沙汰を起こし、少年審判で保護観察処分を受けたこともあった。
離婚後も佐藤被告を引き取った義父
結局、佐藤被告の母親とは佐藤被告が19歳のときに離婚したと言うが、佐藤被告のことは引き続き引き取って暮らすことにしたという。
Aさんとのトラブルは把握していて、「早く別れなさい」と言っていたというが、佐藤被告が家を出てからのことはほとんど何も知らず、養父は別の女性と再婚。佐藤被告の国選弁護人から電話があるまで、事件のことも知らなかったという。
「紗希は10代の頃から境界性パーソナリティ障害に悩まされていた。見捨てられ不安があり、紗希が求めていることを彼氏が受け止めてくれるとホッとする。出所後は自宅に住まわせて病院で治療させたい。妻は承諾している。妻との関係は難しいんですけど、一緒に食事したことはあります」(同)
佐藤被告は養父の言葉を「情けないです……」と言いながら涙ながらに聞き、事件を総括して次のように述べた。
「事件を起こした原因の一つは、私が風俗で働いていて、暴力が喜ばれることがたくさんあって、感覚が麻痺していたのではないかと思います。もう一つは幼少期から母に虐待を受けていて、暴力が日常的なものだったから、あんまりおかしなことをしているという抵抗感がなかったです。境界性パーソナリティ障害の影響から、感情の起伏が激しく、人間関係の依存と拒絶を繰り返してしまい、それはAさんとの関係の中にもありました」
Aさんはすでに弁護士を立てて300万円の損害賠償を求めていたが、佐藤被告が250万円を用意し、養父が50万円を立て替えたことから示談が成立し、「執行猶予付きの有罪判決にしてもらっても構わない」という文言を取ることができた。ただし、今後はAさんやAさんの家族に2度と接触しないという条件を付けられた。
