――当時の暮らしぶりは。

五頭 お金に関しては楽ではなかったけれど、米農家でしたから、ご飯だけはありました。私は農繁期になるとお風呂を沸かして、みんなが帰ってくる前に夕食の準備をして待っているという役割でした。近所もみんな似たような状況で、地主から田んぼを買ってどう作付けするかに必死でしたね。

小学校で生徒会長、高校生で「NHKのど自慢」新潟県3位に

――どんな子供だったのでしょう。

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五頭 早生まれということもあって、最初はみんなについていくのが大変だったようです。でも、ある頃から学芸会に出るようになり、なんだかんだで小学校で児童会長になりました。まあ、目立ちたがり屋だったんでしょうね。

 母はよく映画に連れて行ってくれましたし、商店街の催しで歌や大衆演劇の実演があると、母は自分が行かなくても私だけは行かせてくれました。近所で託児所を開いていたお坊さんに「この子は面白い子だよ」と言われていたらしく、それで自由にさせてくれたようなところがありましたね。

小学6年生の時の五頭岳夫さん(本人提供)

――子供の頃は歌に夢中で、高校生で「NHKのど自慢」に出て新潟県大会で3位になったそうですね。上京当時、作曲家に師事して、プロの歌手を目指していたとも聞いています。

五頭 姉たちが「月刊平凡」や「月刊明星」、「スクリーン」といったエンタメ系の雑誌を読んでいて、私もよく読んでたんです。「平凡」「明星」には歌本の付録があったでしょう。さらにテレビが家に来るまでは、ラジオを聞きまくっていたから、歌というものが身近だったんですね。

 小学校4年生あたりで町ののど自慢大会に出たり、姉と一緒に出たこともありました。今でも3000曲ぐらいは歌えるかなと思いますよ。

 

――テレビにも夢中に。

五頭 家にテレビが来たのは、上皇上皇后両陛下のご成婚の頃でしたね。テレビが来るまでは「もらいテレビ」といって、テレビのある家へ行って見せてもらっていたんです。それが当たり前だったんでね。

 で、相撲を見終わったら、そのまま子供向けの番組も見て。「月光仮面」とか、山城新伍さんが主演を務めていた「白馬童子」なんかを見ていましたね。