中学では選抜で文化祭の舞台に、高校時代から本格的に演劇の道へ

――小学校の学芸会では6年間、主に主役だったそうですが、引き続き中学の文化祭などでも舞台に立つことが?

五頭 中学は、ベビーブームでしたから、1クラス50人が12クラスぐらいあったわけですよ。その中で文化祭の出し物にクラスから何人か候補をリストアップして出す形だったので、普通に出ていたというか。配役も先生が決めるわけですが、私はいつも親父役とかおじさん役が多かった。風貌からしてそうなんでしょうね(笑)。

 本格的に演劇と向き合ったのは高校時代です。チェーホフのような本格的な舞台を、町の市民劇団がやっているのを見て、「なんて面白いんだろう」と。

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 それまでは大衆演劇か、中学の文化祭で伝記ものをやるぐらいでしたから、それは衝撃でしたね。高校3年生になって、自分たちだけでやっていた演劇のサークルを部活動にしてもらえるように動いて。

脇を固める俳優の存在感に圧倒「とにかく芝居の勉強をしたい」

――演劇のどこに魅せられたのでしょう。

五頭 小津安二郎さんや黒澤明さんの映画を観ていてもハッとさせられたんですよ。三船(敏郎)さんら主役がいるけれど、その脇を固めているのが文学座、民藝、俳優座といった新劇の人たちだとわかってきた。そうした方々の存在感にも圧倒されて、「とにかく芝居の勉強をしたい」と思い始めたんです。

 高校を出たら俳優になろうと東宝芸能学校という演劇学校の願書を取り寄せたら、母に見つかってしまって。「夢ばかり見てないで真面目に働け。家族のことを考えてみろ」「どれだけ苦労してあんたを育てたと思ってんだ」と言われましたね。

 

父の死後18年間、女手1つで12人の子供を育ててきた母の想いに…

――お母さんは俳優になることに反対だった。

五頭 さっきお聞かせしたように、母も上の姉も家のために必死で働いてましたからね。親としたら、子供には安定した生活や人生を手に入れてほしいものでしょう。父が亡くなってから18年間、女手1つで12人の子供を育ててきて、本当に苦労してきた人なんでね。

 それが痛いほどわかったし、反対を押しのける覚悟もなかったですね。それで高校を出て、自動車整備の専門学校に入って2年間学んで。その学校がトヨタと繋がっていたこともあって、上京してトヨペットに就職したんです。

撮影=杉山秀樹/文藝春秋

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