免許返納を決断

 食事以外にもパパを追い詰めることがあった。

 人工透析を始める前から問題になっていたこと。それは運転だ。

 東京と違って、真鶴は車がないとどうにもならない。引っ越した最初のころは、パパも自分で車を運転して夕食の買い出しに行ったりしていた。

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 だけど、もう80歳。運転も危なっかしくなっていた。

 免許更新の際に75歳以上の高齢者は認知機能検査を受けるけど、パパはなんとかギリギリ合格って感じだった。その結果にいつもショックを受けて帰ってきていた。

 実際に運転しても、庭の植木や花を踏み倒してしまう。

「パパ、もう免許返納しようよ」

「ふざけるな、俺はまだいける」

 私がいくら言っても、キレるばかりで言うことを聞かない。

 気持ちはわかる。

 昭和の芸能人にとって「外車に乗るのはステータス」みたいなもんだ。それにパパは大の車好き。若いころはベンツやジャガーなどの高級外車を何台も乗り回し、晩年はACコブラ、フォード・ブロンコなどのスポーツカー、SUVも愛車にしていた。

 車はパパにとってのアイデンティティ。いや、心の支えだった。

 

 これはもう、かなり晩年になってからの話だけど、私が助手席に乗って、パパの運転で乃木坂あたりを走ったことがあった。

 しばらくは順調だったけど、曲がろうとした瞬間、「キキーッ!」。思い切りブレーキを踏んだ。歩行者を轢きそうになったのだ。

「パパ、今ぶつかりそうになったじゃん! とにかくこれが現実だから、免許返そう。人を轢いたら、Yahoo!ニュースに載っちゃうから、もうやめよう」

「うん……」

 パパはそう一言だけつぶやいた。

 今まで聞いたことのないような覇気のない返事。私だってこんなこと言いたくない。でも、なにか起きてからでは取り返しがつかない。

 こうやって料理、運転と一つ一つ趣味を取り上げられることで、パパは自信をなくしていった。

 そこに苦しい人工透析が重なる。パパはもう生きる気力すら失っていた。

写真=平松市聖/文藝春秋

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