モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナ。なぜ彼女は、数々の苦難や世間の批判にさらされながらも、自分らしく生き続けることができたのか。そして、梅宮アンナがたどり着いた人生観とは何だったのか。

 梅宮アンナが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、母・クラウディアさんとのエピソードを抜粋してお届けする。

母・クラウディア氏と、幼少期の娘・百々果さん

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ママの生い立ち

 ママは、なぜ私に冷たかったのか。無関心だったのか。

 私なりに考えてみたことがある。

 たぶん、ママは私のことが嫌いなわけではなく、子どもと向き合うことを避けていたんだと思う。というか、何をすればいいのかわからなかったはず。

 そこにはママの生い立ちが関係している。

 ママは1944年にロサンゼルスで生まれ、すぐに母親を亡くしている。父親の仕事は貨物船の船長で家を空けることが多かったので、ママの面倒が見られなかった。だからママと1歳上の兄をよその家に預けたらしい。ママが5歳になると、父親の仕事の関係で一家はフィリピンのマニラに移り住む。そこでも兄妹をよその家に預けた。2年後に船長の仕事を辞めた父親は、貿易会社に転職し、日本の横浜で働き始めた。そこで日本人女性と再婚。ようやくママと兄を呼び寄せて、一緒に暮らすようになった。

 生い立ちは、ざっとこんな感じだ。

 父親の再婚相手である継母は「日本コカ・コーラ」に勤めていたけど、とにかく厳しかったらしい。ガミガミ叱られることに耐え切れず、ママは家出したこともあったとか。ママのお兄さんも家出して、そのまま海軍に入っちゃったそうだから、よほど家に帰りたくなかったんだろう。

 その継母とは、私も小学生のころに何度も会っている。

 厳しくされたことはないけど、かといって優しくされた覚えもない。どことなく冷淡な雰囲気があるのが嫌で、中学に入ってからは会うこともなくなった。

 正直、今、書いた以上のことは、ママから昔の話を聞いたことはない。

 なんだか話したくなさそうな感じがして聞けなかった。