モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナさん。なぜ彼女は、数々の苦難を乗り越え、自分らしく生き続けることができたのか。

 梅宮さんが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、母・クラウディアさんとのエピソードを抜粋してお届けします。

梅宮アンナと母・クラウディアさん ©文藝春秋 撮影・今井知佑

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ママと私

 乳がんを告知されたとき、私はどん底まで落ち込んだ。なんとか気を取り直して闘病することができたのは、家族の存在があったから。

「百々果とママを残して死ねない」

 そんな想いが私を突き動かした。

 ママは80歳を超えた立派な高齢者だ。私が面倒を見ないと何もできないんじゃないか、そんな心配もあった。

 普段はボーッとしていて、頭の中が「お花畑」のような感じ。ちなみに生まれはアメリカ。ドイツ系アメリカ人の父親とスペイン系アメリカ人の母親のもとに生まれたので、日本語もカタコトだ。テレビで見たことある人もいると思う。

 乳がんの告知を一緒に受けたとき、ママはショックのあまり泣いていた。それ以来、さすがに深刻だと思ったのか、私のことを献身的に支えてくれた。

 

 先生の診断結果を聞いては、つたないローマ字で一生懸命にメモしていたし、抗がん剤の副作用で私の髪の毛がゴッソリ抜けたときも、泣きながらハサミを握って絡まる毛を切ってくれたのもママだ。ニューモシスチス肺炎を発症して、「もうダメか」と生死をさまよったときも、百々果と一緒に毎日のように病室に来て励ましてくれた。