モデル、タレントとして華やかなキャリアを築く一方で、恋愛や結婚、離婚、シングルマザーとしての子育て、そして乳がんとの闘いまで、その人生を包み隠さず語ってきた梅宮アンナ。なぜ彼女は、数々の苦難や世間の批判にさらされながらも、自分らしく生き続けることができたのか。そして、梅宮アンナがたどり着いた人生観とは何だったのか。

 梅宮アンナが自身の半生を赤裸々につづった著書『フルコース』(文藝春秋)から、母・クラウディアさんとのエピソードを抜粋してお届けする。

 

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ご飯といえばコーンフレーク

 ママは自分の生活のペースを崩されるのが大嫌いだった。

 毎朝、私が慌ただしく登校の準備をするのも気に障るようで、

「はい、食べなさい」

 と、ぶっきらぼうに朝食を出す。私がなかなか食べ終わらないと「早く、早く」と急き立てる。ご飯といっても、いつもコーンフレークばかりだ。夜もコーンフレーク。パパと違って、基本的にママは料理をしない。「お腹すいたあ」と私がねだると、グレープフルーツが出てきて、ギョッとしたこともある。

 小学生のころは、髪の毛を三つ編みにセットするのをママに手伝ってもらっていたけど、ギュッ、ギュッと強く引っ張るので痛いのなんの。

「あっ、今日も機嫌が悪いな」

 と子どもながらに察していた。

「熱が出たところで、どうせママに怒られるだけ」

 がんになる前まで、私は生まれてこの方、熱を出したことがない。

「頭が痛い」「お腹が痛い」などと訴えようものなら、ママは「えー?」と不機嫌そうな声を上げる。そして「あなたの管理が悪いのよ」と怒り出すのだ。擦り傷をしても、絆創膏一つ貼ってもらったことすらない。

 だから、風邪をひいても、必死で熱を出さないようにしていた。正確には、たとえ体がダルくても、寒気がしても「熱じゃない」と自分に言い聞かせていたのだろう。

「熱が出たところで、どうせママに怒られるだけ」

 そんなあきらめにも似た気持ちがあった。

 ちなみに私が赤ん坊のころに、ママがミルクを飲ませてくれたことも、オムツを替えてくれたことも、子守唄を歌って寝かしつけてくれたことも、絵本を読み聞かせてくれたこともなかった。こうやって書き並べてみると、当時、ママが私にしていたことは、うーん、虐待? それとも、ネグレクト? とにかくそんな感じだ。