2025年10月、林家ペー・パー子夫妻の自宅が突然の火災に見舞われた。着の身着のままビジネスホテルへ。翌々日には浅草演芸ホールの舞台に立った。火災保険には入っていなかった。

 84歳の芸人が初めて赤裸々に語る、火災後の混乱と後悔。林家ペーによる初の語り下ろし『ヨレヨレ人生漫談』(小学館)より抜粋して紹介する。

林家ペー・パー子 ©五十嵐美弥/小学館

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警察署から「今、ぺーさんの家が焼けてます」

 ええ~、あの日のことを振り返るのは、正直、かなりキツいですね。できれば忘れたい。記憶の底に沈めたいっていうのが本当のところ。実際、あれから何がどうしてこうなったのか、よく覚えていないことも多いのよ。

 そうかぁ。もう半年以上過ぎたんだ。あらためて振り返ると、そうよねぇ。この年までこんなに凄まじい日々を送ったことはなかったわよ。まさに突然変異、紆余曲折、艱難辛苦。アハハハ、これは大昔、立教大学を受験した時に暗記した四文字熟語だから気にしないでネ。今、書けと言われても「艱難」なんて漢字、書けません。

©五十嵐美弥/小学館

 さて、あの日、昨年9月19日は初代林家三平の命日の前日で、法事で一門が集まったんです。パー子は体調がすぐれないと言うので僕だけ出席して、初代三平のおかみさんの海老名香葉子さんと正蔵さん、現在の三平さんほか30人以上で「林家三平の生誕100年! がんばろう」と写真撮影をし始めたところで、電話が鳴った。

 赤羽警察署からで、「今、ぺーさんの家が焼けてます」って。こんな時って頭がまっ白になって、「ええええ、えええー、どういうこと? えええー」しか口から出ないのね。それで誰かが呼んでくれたタクシーに飛び乗った。ところが途中から交通渋滞でタクシーが動かないの。そうこうする間に消防車のサイレンの音がどんどん増えていくじゃない。うちに向かう消防車のせいで交通渋滞を起こしているとわかった僕は、タクシーを降りて走った、走った。パー子は無事か、そればかり考えていた。

 で、うちに着いたら消防車だらけ。あとから聞いたら29台集まったそうです。僕らが住んでいた部屋を見上げると黒い煙がもうもうと上がっていて、パー子の顔を見て、それから記憶がないの。マンションの管理会社の人から何か言われたらしいんだけど、覚えていない。パー子もパニックを起こして、猫を助けてと言っていたけど、もう家には近づけませんでした。