「たけしだよ。たけし。今、おふくろがよぅ」——深夜にかかってきた1本の電話。相手がビートたけしだと気づいたのは、お兄さんに代わってからだった。

 師匠の墓参りのたびに10年間、たけしの母・北野さきさんの元へ通い続けた林家ペー・パー子夫妻。身内のようだったというさきさんの人柄から、たけしがカメラの前で泣いた夜まで。林家ペーの初の語り下ろし『ヨレヨレ人生漫談』(小学館)より、抜粋して紹介する。

林家ペー ©文藝春秋

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「ビートたけしの母」北野さきさんとの出会い

 昭和60年に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)が始まって、僕らも時々出させてもらったんだけど、たけしさんはよく「おふくろ」って言っていたの。僕の耳に残ったくらい、「おふくろ」が出てくる。そうこうしているうちに、実家が「足立区島根」にあるという情報が流れてきた。「ちょっと、お兄ちゃん、島根っていつも通るところじゃない!」とパー子が驚いてね。毎月行く師匠のお墓は、北赤羽の自宅から車で30分。そのちょっと手前の至近距離にたけしさんの実家があるなんて、あなた、驚かない? 家の場所は近所で聞いたのかなぁ。「ビートたけしさんの実家はどこですか?」って聞けばそりゃあ、もう、毎日テレビに出ている有名人だもの、「ああ、あそこだよ」って教えてくれるわよ。下町だからなんでも筒抜けだしね。それで「じゃあ、挨拶に行こうか」って、これは僕が言ったんだよ。

 最初に訪れた日のことはよく覚えている。

「ごめんください」と言ってガラガラと引き戸を開けたら、「なんだ」ってさきさんが出てきたの。「なんだ」っていうのが下町のおばあちゃんよ。飾り気がなくていいでしょ。で、「初めまして。いつも『元気が出るテレビ』でたけしさんにお世話になっています林家ペーと、僕の奥さんのパー子です」と自己紹介したら、パー子の方を向いて「いいね!」と言って、ニッコリ笑ってくれたの。

 あの時のさきさんの「いいね!」は僕らの宝物ですよ。褒められたのはパー子だけど、なんだろうなぁ。僕らの存在そのものを認めてくれたって、すごく大きなものを感じましたねぇ。