1年がかりで完成した輪島塗のすね当てを持参
2度目のW杯に臨む田中は、本大会に、輪島塗のすね当てを持参した。復興支援活動の一環として、能登半島地震で被災した輪島市に2度ほど訪れた。田中は川崎時代も東日本大震災の復興支援活動に参加しており、そうした活動に熱心だった。この時は、輪島塗の職人と交流を深め、その縁でオリジナルのすね当てが制作された。
1年がかりで完成したすね当てには、左にフェニックス(不死鳥)、右に日本サッカー協会のシンボル八咫烏が描かれている。
W杯の試合から使用する予定で、「(被災地から)応援してもらえているというのも聞く。何か自分が少しでもできたらいいなと思っていろんなことをしてきた中で、ひとつこうやって形になったのが嬉しい。自分はピッチでしっかりと表現して恩返ししたい」と、熱く語る。
三笘から「(7番は)おまえしかいないだろう」
今回のW杯では、7番を背負うことになった。
それはずっと三笘がつけていた背番号だった。三笘は、左ハムストリングの怪我のためにW杯メンバーに入ることができなかったが、小中学校時代をともに過ごし、川崎でも一緒にプレーし、カタールW杯でもともにプレーした戦友でもある。
今回、日本代表メンバー発表のタイミングで話をした際、三笘から「(7番は)おまえしかいないだろう」と言われたという。田中は、その言葉を重く受け止めた。
「簡単に『彼の分も』とは言えないです。自分たちが優勝することが彼のためになるかと言われればそれはまた別の話で、彼の悔しさは消えないと思う。彼が復活するのをゆっくり待って、また一緒にピッチに立てればいいなと思います」
内心は、きっと三笘の分もという気持ちでいるに違いない。公私ともに仲が良い二人は川崎のサポーターから「さぎぬま兄弟」といわれるほど深い絆で結ばれている。三笘との共闘は、実現できなかったが、だからこそ田中のW杯への思いはより強いものになっている。
「前回悔しい経験をして、3年半挑んでつかみ取ったメンバー。自分でやってきたことが結果として実って選んでもらった、今までの大会とは立場も違う。チーム全員で目標に向かってやれればと思います」
田中がいう全員のなかには、もちろん三笘も入っている。
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