フィニーは、2009年1月にナカモトからビットコインを受け取った最初の人物として知られている。その数年前には、ビットコインに最も近い前身であるリユーサブル・プルーフ・オブ・ワーク(RPOW)という、バック氏が生み出したプルーフ・オブ・ワーク(POW)を進化させたコードを開発していた。
当時、PGP社でフィニーの同僚だったウィル・プライスはこんな証言もしている。
「2008年10月から2009年1月までの約3カ月間、フィニーは社内業務を一切行っていませんでした」
フィニーに3カ月間の空白期間があったというのだ。ナカモトによる論文が発表されたのは2008年のハロウィンで、ビットコインのコードがリリースされたのは2009年1月9日。つまり、ホワイトペーパーの発表からコードがリリースされるまでの2カ月間は、フィニーがPGP社で業務を行っていなかった空白期間と合致しているのである。そのためプライスはフィニーがその期間、ビットコインのコードの作成に取り組んでいたのではないかと推測している。
“複数の人物から成るグループ”だった?
もっとも、これまでも“フィニー=ナカモト説”は取り沙汰されてきた。しかし、これまでその説には常に否定的な声がつきまとっていた。オンライン上の履歴によると、フィニーがサンタ・バーバラでマラソン大会に参加していた時間に、ナカモトがオンラインでメールのやりとりをしているのだ。確かに、走っている最中にネットに書き込みをするのは難しい。
しかし、ナカモトが複数の人物から成るグループだとしたら、この矛盾は解決されるのではないか? コーハン氏とマロニー氏はそう考え、フィニーの同僚だったサッサマンに注目する。つまり、フィニーが走っていてオフラインだった時、サッサマンがナカモトとしてメールのやり取りをしていたのではないかと推測しているのだ。
サッサマンはフィニー同様、匿名性とプライバシーを非常に重視し、フィニーがあまり得意ではなかった論文の執筆に長けていたという。ナカモトはイギリス英語を使うことがあったが、サッサマンもまた、時折、イギリス英語を使用し、他人の文章に細かな言語的変更を加えることで自分の身元を隠蔽する術も心得えていた。偽名を考案することにも非常に長けていたという。
このことから、コーハン氏とマロニー氏は、フィニーがビットコインのコードを書き、サッサマンがビットコインの基礎となる論文を書いた——つまり、フィニーとサッサマンの2人がナカモトだったのではないかと見ている。