——元相方の渡辺鐘(現・桂三度)さんとはNSCで出会ったんですか?

山下 NSCで出会ってコンビを組みました。生活のためにアルバイトしてたのは1年目ぐらいまでで、2年目からは普通に芸人だけで生活できるようになったので、大阪時代は割と順調だったと思います。

——たしかにジャリズムは若手の頃から『すんげー! Best10』(ABC)などで活躍していた印象があります。その時期にはすでに売れっ子という感じでしたね。

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山下 でも大阪なので(ギャラは)安かったですよ。最高月収は何回か100万円を超えたぐらいで、全然大したことないです。学園祭とか20~30校ぐらい行ってましたけど、1回で1万とかだったので、20~30万円ぐらいにしかならないんですよ。他事務所だったらもうちょっと行ってたんでしょうけど。

「これはもう職業として成立してないんちゃうか」とパニックに

——それでも大阪時代は割と順調だったんですね。

山下 そうですね、順調に行ってるなと思っていました。でも東京に出てきて「あれ?」と思うようになって。東京に住んでると交通費がかかるから大阪のレギュラー番組もどんどん減るし東京の仕事は増えないし、30歳の時にマネージャーから次の1週間のスケジュールをもらったら、そこに書かれていたのが大阪の『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)だけで、1週間丸々休みでした。それまでずっと仕事があるのが当たり前だったので、急に1週間も休みという状況になって、パニックになってしまったんです。それで「これはもう職業として成立してないんちゃうか」と思って、相方の渡辺に「芸人を辞める」と言いました。

 

——そのときのご自分の判断について、いま振り返るとどう思われますか?

山下 もちろん、どう考えても決断早すぎますよ! だって、レギュラー1本あんねんから。その後の芸人人生を考えたら、ラジオのレギュラーが1本あるだけで十分やないかい、って。でもその前まではレギュラーが4~5本あったので、ラジオだけになったのがショックやったんですよね。