——相方や周囲の反応はどうでしたか?
山下 渡辺には「芸人辞めて何するの?」と聞かれて、「吉本の社員になる」と答えました。吉本の社員なら仕事があって安定してるやろ、と思って。でも当時のチーフマネージャーに相談したら「なれるわけないやろ」とあっさり断られて、そこでまたパニック(笑)。「芸人もできひんし、社員にもなれへん。どうしたらええねん」と。
実は吉本の社員になるのが無理だとわかって渡辺にもう一回「コンビやってくれへんか」と相談したんですけどでも、そのとき渡辺はもう構成作家の仕事をする方向で動いてて、「もう無理やわ」と言われて解散することになりました。周りの芸人も驚いてましたよ、30歳で上京してラジオとはいえレギュラーがあって、なんで辞めんの? って。
『笑っていいとも!』で突き刺さった「こいつら誰やねん」という目線
——大阪では勢いがあったジャリズムが、東京でそこまで苦戦したのはなぜだったんでしょうか。
山下 僕らは関西ローカルではレギュラーがあったけど、東京では全く無名だったんです。『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出たときも、お客さんからの「こいつら誰やねん」という目線をひしひしと感じました。関西では認知されているのが当たり前だったから、お客さんが僕らを知らない状態で仕事することに慣れていなかった。隣にいるのSMAPさんとかだったんで考えてみたら仕方ないんですけどね。そこで歯車が狂った感じはありました。
——解散後はピン芸人として活動されていたんですか?
山下 ピンでやってたんですけど、それも上手くいかず仕事もがくっと減りました。それで、ナインティナインの矢部(浩之)さんのお兄さんがやっていた芸能事務所でグラビアアイドルのマネージャーをやったりしてました。事務所からは給料をもらって、陰で芸人の仕事も続けていました。

