北海道美唄市・東美唄。最盛期には5287戸、2万8000人以上が暮らした炭鉱集落は、昭和47年の閉山とともに人が去り、今は自然に呑み込まれつつある。
水没した円形校舎、骨組みだけとなった体育館。かつての繁栄の静かな痕跡を、廃村探索28年の第一人者・浅原昭生による『廃村大全』(大洋図書)より抜粋して紹介する。
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「水没した校舎」の中で見えた光景
東美唄は、石狩川水系美唄川沿いの山間、函館本線美唄駅から9キロの距離にある。三菱美唄炭鉱は大正4年に成立、炭鉱集落は番町、我路の沢、鴻の台、月見台、旭台、常盤台などからなり、最盛期(昭和24年)には5287戸、28603人が暮らした。
しかし、石炭から石油へのエネルギー革命の進行などにより炭鉱は昭和47年4月に閉山、東美唄は昭和49年頃に無住となった。
今は三菱系の北菱産業埠頭が露天掘り炭鉱を運営している。
初訪時は冬。手前の我路で路線バスを降り、訪ねた美唄炭山簡易郵便局は営業していた。歩いて向かった番町のスキー場内、中学校跡の体育館を改装したレストハウスでひと息ついた。
我路の沢にある沼東小学校は、へき地等級無級、児童数1526名(昭和34年)、明治39年開校、昭和49年閉校。学校跡に残る円形校舎は昭和34年新築で、往時は2棟並んだメガネのような形をしていた。先がわからない雪原をおそるおそる進んでいくと、やがて円形校舎が姿を現した。
校舎の1階は床が落ちて水没していたが、凍てついているため、歩いて一周することができた。校舎よりも少し先には、骨組みとなった体育館が見つかった。


