「日本一の炭鉱集落」に50年で起きた変化

 再訪時も冬。初めての常盤台、旭台から番町の順で訪ねた。

 常盤台では、道道から雪の竪坑櫓の遠景を見ることができた。旭台では、警報局の青看板や病院へ向かう橋などを確認した。

©浅原昭生

 番町のレストハウス前から道が続く沼東小学校跡の円形校舎は、気にはなったが行かなかった。

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 常盤台の常盤小学校は、児童数1898名(昭和34年)、大正9年開校、昭和48年閉校。旭台の旭小学校は、児童数692名(昭和34年)、大正9年開校、昭和45年閉校。炭鉱集落の規模が大きい分、3つの学校の児童数も多い。

 最盛期の集落は、北炭夕張を抑えて日本一の規模だった。

炭鉱町の痕跡は静かに残っている

 三訪時は秋。まず番町のレストハウス前から沼東小学校跡へと川の上流部に架かる橋から回り込む形で向かった。経路の途中では、川を隔てた先に門柱と大きな旗の掲揚台が見えた。

©浅原昭生

 骨組みだけかと思った体育館だが、一部分建物らしい姿の部分が残っていた。裏側から到着した円形校舎では、屋上へと続く外付け階段がよく記憶に残った。

©浅原昭生

 続いて訪ねた常盤台、炭鉱メモリアル公園に人の姿はわずかだったが、緑に包まれた竪坑櫓を間近から見ることができた。

 公園裏手の国有林の中にある常盤小学校跡には、山道を2キロ歩いて訪ねた。学校の痕跡は何も残っていないが、「小学校の前にあった」と言われる馬頭観音碑の台座がしっかりと残っていた。馬頭観世音菩薩は馬の守護神で、交通安全の神とも呼ばれている。

 最後に訪ねた旭台、「道道の分岐からそれほど離れていない」と思っていた旭小学校跡は、急な高台の上にあった。

 学校跡にたどり着くことはできなかったが、鉄道跡を跨ぐ橋のそばに馬頭観音碑が見つかったので、ひとまずよしとした。

次の記事に続く かつての小学校から牛が次々と出てきた…平成9年に「廃村」になった北海道の集落で目にした“驚きの光景”

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