『「ノーマル」の誕生 「普通の人」という幻想はいかに作り出されたか』(サラ・チェイニー 著/田沢恭子 訳)

「我々はノーマルという単語を〈普通〉という意味で使っていますが、元々数学で〈直角〉という意味です。〈普通〉という意味で使われるようになったのは、19世紀以降で、比較的歴史は浅いのです」

 私はノーマルなのか。ノーマルから外れてはいないか――。私たちを縛る「ノーマル」。しかし、『「ノーマル」の誕生』の著者で、心身の医療史を専門とする歴史家、サラ・チェイニー氏は、「かなり曖昧な言葉です」と疑義を呈す。本書は、ノーマルが作られた歴史に始まり、「私の体はノーマルか」「私の心はノーマルか」など、さまざまな側面からノーマルを検証している。

 例えば、知能を評価するというIQ(知能指数)テスト。20世紀初頭、フランスの心理学者アルフレッド・ビネーが、教室で学習についていけない子どもをどう支援するかを考える中で開発したものであり、元々人間を序列化するためのテストではなかった。IQテストの再標準化を研究した心理学者たちは、「IQテストは、人間に本来的に備わった固定的・普遍的な知能ではなく、別の何かを測っているのではないか」と示唆する。著者によれば、一世紀にわたるIQテストの歴史を振り返ると、〈ノーマルな知能とはどんなものか、あるいはどんなものであるべきかについては、依然として答えよりも疑問のほうが多い〉という。

ADVERTISEMENT

 もう一例。最近指摘されることが多い、ADHD(注意欠如多動症)の増加。だが、そう単純な話ではないという。落ち着きがない、集中が続かない人は昔からいたが、ADHDの概念と診断基準の普及によって、そうした潜在的な事例が明らかになった。つまり、ADHDとして認識される範囲が変化したと言った方が正しいのかもしれない。

〈子どもの行動を「多動」や「自閉症」、あるいはその他の点で「ノーマルでないもの」と決めつけてしまうと、子どもの経験を形成する社会的要因がたやすく見過ごされてしまう〉と著者は警鐘を鳴らす。

 健康指標の一つであるBMIは、本来は肥満度を測るための簡便な尺度にすぎない。しかしダイエット産業はそれを巧みに利用し、「ノーマルな容姿」への執着を拡大させてきた。そこには純粋な科学だけでは説明できない、産業や時代背景の力学が複雑に絡んでおり、著者の説明はすこぶる興味深い。

「ノーマルや健康の基準は、特定の集団を元に作られていることが多く、それを全人類の普遍的基準のように扱うのは危険です」

©Agile Rabbit

 初期の健康基準は、20世紀初頭の白人中産階級アメリカ人のデータをもとに作られたというから、その基準がすべての人に当てはまるはずがなかった。

「子どもの頃、私は近視だったのですが、それが分かったのは学校に通い始めてからでした。母はいつも『今、道の向こうにいたのはあなたの友達だったのに、なぜ手を振らなかったの? 失礼だと思わない?』と私を叱ったものです」

 自分では「世界がぼやけて見える」のがノーマルであったため、メガネをかけるまで、近視であることに気づかなかったのだ。

 人は経験を通して、自分の感覚や経験をノーマルだと思い込みやすい。

「他人の行動を性格や態度の問題と決めつけても、実際には別の理由が隠れている場合があるため、“ノーマル”という判断には慎重であるべきです。どの側面をとっても統計学における正規分布の外れ値になる人は必ず存在します。それ自体がノーマルなことなのです」

Sarah Chaney/歴史家。ロンドン大学クイーン・メアリー校・感情史センター名誉研究員。主な関心領域は、医療と健康の歴史、特に感情、看護、精神医療、健康格差、女性の健康など。現在はイギリス王立看護協会図書館・博物館のミュージアム・イベント・マネジャー。