作家、エッセイスト、俳優など、幅広い分野で活躍されている阿川佐和子さん。そんな阿川さんにも、自分が「何者」なのか分からず、人生に迷い続ける時期があったといいます。

 何がしたいのか分からなかった20代、怒られてばかりの30代、仕事が性に合っていると思えるようになった40代以降のことまで、たっぷり語っていただきました。『週刊文春WOMAN 2026夏号』より、一部を抜粋の上ご紹介します。

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 仕事のマンネリ、人生への迷いといった「中年の危機」を語る前に、そもそも私は他人様より、ずっと出遅れた人生を送ってきたということを明かさなくてはなりません。社会に出てまともに働き始めたのが、30代に入る直前でしたから。年食ってるわりに新人の立場で生きている期間が長かったんですよ。

自分には専業主婦が向いていると思っていた

 

 振り返ると、20代は暗い日々を過ごしていました。私は子供の頃から、自分が何をしたいのか、どんな人間になりたいのか、いつまで経っても分からなかったのです。どうやったら怒られないように生きていけるのか、ということしか考えていませんでした。つまんないやつでしょう? 技もなければ才能もない、新しいことに挑戦する勇気もない、ダメな人間なんだと落ち込んでばかりでした。

 だからと言ってはなんですが、昔から自分には専業主婦が向いていると思っていました。子供も家事も嫌いじゃないし、女の幸せは結婚という時代でしたから。通っていた慶應義塾大学でも、卒業後に就職する女子学生は3分の1程度。就職したとしても腰掛けで、数年後に寿退社する前提で勤める人が多かった。加えて、当時はオイルショックで、男子学生たちもまともな就職ができていなかった。無能な私なんかがお邪魔するわけにはいきません。

 組織にご迷惑をかけるくらいなら、最初から勤めないほうがいいだろう。そう思って、大学を卒業するかしないかのうちからお見合いに励んでいました。卒業後は実家に居座りながらアルバイトをしていたのですが、いつまで経っても結婚相手が見つからず。

 ひたすら見合いと友達の結婚披露宴に明け暮れて、次は私の番だと思っていたら、そのままどんどん時は過ぎて……「えー、やばいよ、30になったらどこも行くところないよ!」と。50や60になって年老いた親と暮らしているままの自分を想像して不安になっていました。

 社会人として働くようになったのは、29歳のときだった。1983年、深夜の情報番組『情報デスクToday』(TBS系)のアシスタントに抜擢。89年には後継番組『筑紫哲也NEWS23』(TBS系)のサブキャスターに就任する。