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佐藤栄作「テレビカメラはどこかね」と浅利慶太の演出
――時代が遡りますが、テレビと総理大臣の関係で言うと佐藤栄作が退陣記者会見で「テレビカメラはどこかね。僕は国民と直接話がしたいんだ。新聞は帰ってください」と記者を追い出した「事件」がありましたよね。
御厨 テレビを意識したことは確か。しかし、国民と直接話したいと言ったその肝心の表情が怒りの表情だったんだから、テレビ映りとしては悪い結果になったと思いますよ(笑)。それはともかく、佐藤時代のあたりから首相というものがテレビ映りを気にし始めたことは事実でしょうね。佐藤さんの場合、先日亡くなった劇団四季の浅利慶太、彼がテレビ映りについて“演出”をしていた。
――浅利慶太の演出ですか。
御厨 佐藤さんに限らず、当時の政治家は露出の仕方をだんだん気にし始めていたんですね。そのあとの田中角栄に至っては、あのガラガラ声に田舎のおじさん風たたずまい。テレビ的なキャラが自然とできあがっていたからこそ、あれだけの人気宰相になれた。
中曽根康弘は、実は「テレビ」の人
――昭和の総理大臣ですと、他にもテレビ的だった人はいますか?
御厨 中曽根さんはテレビに出ても面白いことを言う人ではないから「テレビ的」ではない。しかし、テレビをうまく使った人ではありますね。あの有名な「日の出山荘」でレーガンと仲良く握手なんかしているニュース映像は今でも資料映像的によく見るでしょう。
――中曽根さんが法螺貝を吹いたりして。
御厨 まさに自己演出の人。テレビ的な映像をいかに見せるかを考えていた人だと思いますね。