3日目覚めず緊急治療室に…母には「覚悟してください」と説明が

――事故の直前や直後で覚えてることはありますか。

古谷 確かな記憶はないんですけど、運ばれていった病院の中をストレッチャーに乗せられて連れていかれた時に「意識ありますか!」と聞かれて、自分の名前や住所、家族構成も全部言っていたみたいです。あと全然詳しくないのに、なぜか王貞治さんの話をしていたみたいで。なんでだったのか、いまだにわからないんですが、そこだけはすごく覚えています(笑)。

©佐藤亘/文藝春秋

――意識を回復したのは事故からどのくらい経ってからだったんですか。

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古谷 3日くらい目が覚めず、緊急治療室に入っていたみたいです。目が覚めると個室にいて。なんとなく自分がトラックにひかれたというのはわかったんですよ。体を見るといろんな管にいっぱい繋がれていて。頭蓋骨を骨折していたので髪が洗えず、血まみれでした。

――事故後に意識が戻った時のご家族の反応などは覚えていますか。

古谷 母はもう疲れ切っていました。後で聞いたんですけど、事故直後にお医者さんから「もし不整脈が出たら死の危険があるから、その時は覚悟してください」と説明をされてたらしいんです。母が働いてる職場に病院から電話がかかってきて「不整脈が出ました」と言われた時には、もう本当に気が気じゃなかったと話していました。ただ、それでも私は回復したので、お医者さんからは「本当に生命力がすごい」と言われました。

「痛い!」「死にたい!」回復するまでの地獄の日々

――怪我についてですが、頭蓋骨がパックリ2つに割れたそうですね。

古谷 はい。頭蓋骨骨折は手術をするとかじゃなくて、骨がくっつくのを待つしかなくて。そこからはもう地獄の日々でした。頭がパックリ割れているので毎日「痛い!」「死にたい!」とずっと叫んでいたらしくて。正直なところ私自身はあまり記憶にないんですけど......。ただ看護師さんたちも何もできなくて、時間が解決するしかないのでただ「かわいそうに」みたいな感じだったみたいです。

――痛み止めの薬などは効かないんですか。

古谷 もう全然効かなくて。おそらく薬で少しは痛みが減っているけれど、それでも痛い。本当に経験したことない痛みでした。