「スーパーの出店はちょっと驚いたけれど……」
ここで直近40年ほどの銀座の変化について振り返りたい。バブル期には、銀行・証券会社が銀座通りを埋め尽くしていた。ただし午後3時に閉店するため、街の賑わいにはあまり貢献しなかったという。
バブル崩壊後は地価が下落し、外資系ブランドが旗艦店をつくるようになった。現在のように街並みが華やかになったのはバブル絶頂期より後のことだ。
そして、2000年代にはファストファッション全盛期が到来。その代表がユニクロである。「数百円のスカートが銀座通りで売られていた時代もありました」と、竹沢氏は苦笑いで振り返る。
その後ドラッグストアラッシュが到来。その波も去り、今は買取・二次販売が増えているという。「ロードサイド化と言われても今に始まったことではない。その時代で最も勢いのある業種が出店してくるという歴史が繰り返しているだけなんです」(竹沢氏)
戦前のカフェ全盛期には銀座通りにエログロ一歩手前のカフェがあった時代すらあるそうだ。そうした変化を乗り越えてきた街でもあるため、意外にもチェーン店に対する抵抗感は強くないようだ。チェーン店が来たぐらいじゃ驚かない。リーズナブルなスーパーの出店はちょっと衝撃でしたけど」と竹沢氏は笑って話してくれた。
協議内容を守らない事業者も……
ここであらためて1つの問いが生じる。「銀座デザイン協議会は、こうした変化にどこまで対抗できるのか」だ。そもそも法的強制力のない組織が、年間300件の申請をさばきながら、銀座らしさを守り続けることは本当に可能なのか。
実際の協議の現場では、さまざまな調整が行われている。例えば、ダイソーの銀座出店に際しては、協議会は看板の色とサイズについて調整を求めた。派手なピンクを落ち着いた色彩に変え、サインも小さくしてもらった。
事務局長の黒田麻実子氏は当時を振り返り、「変えてはいただいきましたが、サインとして大き過ぎるのでは、という思いがありました」と語る。
より頭を悩ませているのがデジタルサイネージだ。ある若い女性向けアパレルブランドは、店舗に大型のデジタルサイネージを設置している。当初の申請では雪が舞う落ち着いた映像を流すはずが、蓋を開けてみると芸能人の顔写真が映る内容で、協議会は困惑したという。



