警察に保護されたとき口をついて出た「家に帰りたくない」
――暴力は日常的だった。
かいと そうですね。古い記憶で覚えていることといえば、私が母の逆鱗に触れたらしく、「なんて言うんだっけ?」とよく聞かれていたことでしょうか。3歳くらいのことだったと思います。私は母にそう聞かれるたび、何度も「ごめん」「ごめんね」と謝るんですが、そのたびに平手打ちが飛んできました。いま振り返ると、母は「ごめんなさい」という謝罪の言葉を要求していたんだと思いますが、当時の私にはまったくわかりませんでした。
あるいは、小学生のときにじゃれていて弟を蹴り上げてしまい、それを告げ口され、母からピンヒールで何度も殴打されたことがありますね。
――小6で保護されたとき、ご自身のなかで変化があったとか。
かいと ありましたね。その日は夏祭りがあったんです。私以外の家族は夏祭りに行っていて、私は連れて行ってもらえなかったので、友人と一緒に遊びに行きました。帰宅して自宅のドアに手をかけると……鍵がかかっているんです。締め出しを食らった形ですね。中に家族はいましたけど……。寝ていたのかもしれません。
仕方がないのでコンビニと深夜営業している書店を行き来していたところ、コンビニ店員が通報してしまって……警察がやってきました。そのときに、「もういいや」という気になったんですよね。警察官に「家に帰りたくない」と言ったのを覚えています。警察官が照会して、児童福祉施設の入所履歴がわかり、その日のうちに保護されました。
――母親への期待感は、そのときに消え失せた。
かいと 今振り返るとそうなんでしょうね。それから、母が面会にきても面会拒否を貫きました。これまでは、なんだかんだ施設に入るときに「お母さんと離れたくない」と言っていたんですよね。でも小6のときを境に、そうした感情はまったくなくなりました。
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小学校6年生でついに警察に保護され、母親との決別を選んだかいとさん。しかし、家庭内の歪な関係性がもたらす悲劇はこれだけでは終わらなかった。
「母は私に嫉妬していた」――大人になってから気づいた虐待の真の理由、そして理不尽な理由による高校中退の絶望……。続く第2回では、虐待サバイバーが直面したさらなる試練と、他の家族とのリアルな関係性に迫る。
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