――お母さんの存在は把握していたのですか。

GO 母親の存在を認知したのは、僕が小3になったばかりの頃です。母親は月に1~2回、児童養護施設に顔を出してくれていたんですよ。面会室で会うんですけど、何を話していいか分からなくて。お菓子をいくつか持ってきてくれるんですけど、なんだかぎこちない時間でしたね。

 ただ、その頃は母親に知的障害があることは全く分からなくて。少し変わっているけど、普通に自分のお母さんって認識で。他のお母さんと比べると、会話が噛み合わなかったり、リアクションが薄いなとは感じていましたが、それが障害の特性だとは思わなかったですね。

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 父親については、18歳になるまで存在をまったく知らなかったです。

「だから施設育ちはダメなんだ」「お前、親が障害者なんやろ」

――初めて自分の出自を知った時は、どんな心境でしたか。

GO ただただ「事実」として受け止めた感じでした。「そうか、他の子供とは違うんだな」という、どこか他人事のように捉えていたんですよ。でも、それが徐々に劣等感に変わっていって。

幼少期のGOさん

 小4、小5と高学年になるにつれて、友達同士でお互いの家のことを茶化し合ったりするじゃないですか。「なんでお前は最新のゲームを持ってないんだ」とか、面と向かって「お前んち、親いないじゃん」とか。

 なかでも一番キツかったのは、僕が何か失敗すると「だから施設育ちはダメなんだ」とか「お前、親が障害者なんやろ」とまで言われたことですね。そこで現実として僕が置かれていた境遇を突きつけられて、どんどん劣等感が濃くなって。自分ではどうしようもないことで、自分の価値が決めつけられているようで、これは本当に悔しかったですね。

――どんなきっかけで、お母さんに知的障害があることを知りましたか?

GO 小学4年生の夏休みに、お試しで母親の実家に帰省したんですよ。それが僕にとって地獄の始まりで。ある日、母親がちょっと外に出かけている間に、家の中を探検していたら、机の上に手帳が置いてあって、「何かのカードかな?」と軽い気持ちで見たんです。帰ってきた母親に「この手帳って何?」と聞いたら、「知的障害者の手帳」と。その一言が重くて、ズシンと来ましたね。

 当時、友達同士の悪口で「お前、知的やろ?」とか言い合っていて、それがどういう意味を持つのか、ある程度の知識はあったし、「母は他の家庭の親とどこか違うな」と思ってたので、そこで確信しました。「ああ、やっぱりそうだったのか。うちの母親、知的障害やった」って。