両親に知的障害があることから、生まれてすぐに乳児院へ預けられ、児童養護施設で少年時代の多くを過ごしたNEXT-GOさん(32)。

 YouTuberやラッパーとして活動する彼に、母親の彼氏とのゴミ屋敷での生活、児童養護施設によるゴミ屋敷からの救出、里親のもとでの心機一転と決別などについて、話を聞いた。

幼少期のNEXT-GOさん

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貯めていたお小遣いで公衆電話から児童相談所にSOSを出した

――お母さんの高齢者彼氏の家に移ったものの、お母さんは転校手続きなどができなかったことから、学校にも行けなかったと。そんな状況から、誰が救い出してくれたのですか?

NEXT-GOさん(以下、GO) お試しで帰省する時に、児童相談所の担当の先生から名刺を渡されていたんですよ。「何かあったらいつでも電話かけてこい」と。その言葉がずっと頭の片隅に残っていて。あと、児童養護施設でもらっていたお小遣いを少しだけ貯めていたので、手元に現金があったんですよ。それで、団地のそばにあった公衆電話から電話したんです。

 先生は電話口で「探してたぞ! 無事か! どこにいるんか?!」と言ってくれたんですけど、自分が今どの町にいるか説明できなくて、泣きながら「分からない」って言って。先生のほうは落ち着きながら、「お母さんに児童相談所にいますぐに電話するように伝えて」と言ってくれたので、僕は母にそのことを伝えて。

 母は僕が持っていた児童相談所の名刺に書いてる電話番号に電話したんです。その後、児童相談所の職員がなんとか僕の場所を特定してくれて。それで児童相談所の車が迎えに来てくれました。

――児童養護施設に戻って安心を。

GO 心からホッとしました。でも正直なところ、児童養護施設を出たかった気持ちもあったんです。一番の理由が「ルールが厳しいのが嫌」という子供じみたものだったんですけど。放課後は学校の友達と自由に遊べないし、ゲームも満足にできないし、とにかく外にある普通の家庭の世界を見たかっただけで。それで母の実家に行って、そのまま高齢者彼氏の家にもついていって。

 だけど、僕が経験した外の世界の現実は、アル中の伯父さんからの暴力とゴミ屋敷だけだったという。施設の規則正しい生活、温かいご飯、清潔なベッドが、どれだけありがたいものだったか、身をもって知りましたね。厳しいと思っていたルールは、僕たちを守るためのものだったんだと、その時に初めて理解して。