里親の家にも行ったが大ゲンカして再び母親の元へ

――里親のもとにいた時期もあったそうですね。

GO 当時、僕は毎日のように「母の元に帰りたい」と施設の先生に駄々をこねていました。先生は「帰らせてあげたいけれど、今の状況では難しい」と。それでも引き下がらない僕に、一つの提案が届いて。当時、週末のお泊まり体験でお世話になっていた里親さんの家で暮らす、という案でした。僕はその提案を受け入れ、里親さんの家で過ごすことになって。

 そこは、すごく温かい家庭でした。僕のことを本当の家族のように扱い、誕生日にはケーキを焼いてくれ、学校行事にも必ず来てくれる。そんな日々のなかで、僕は人生で初めて「家庭の温かさ」というものを知ったんです。その後、里親さんとの養子縁組の話も具体的に進み、一度は法的に名前が変わるという経験もしました。

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 だけどその後、本当に些細なことから、里親さんと大ゲンカをしてしまったんです。それまでの壮絶な経験のせいもあったのか、当時の僕は気持ちがひどく不安定で、自分の感情をコントロールできませんでした。怒りに任せて、「もういい! お母さんのところに帰る!」と叫んでしまって……。

――里親さんとの新しい生活もなかなかうまくいかなかったと。

GO 平日の、小学校に行かなければいけない朝、僕は里親さんの家から裸足で飛び出し、一人で児童相談所に向かおうとしたんです。結局、すぐに里親さんに追いつかれてしまったんですが。

 その直後、僕は里親さんと一緒に車に乗せられ、そのまま児童相談所へ向かうことになったんです。児童相談所に到着すると、職員の先生から「本当に里親さんの家に、戻らなくていいんだね?」と念を押すように聞かれましたが、僕は、「戻らなくて大丈夫」と答えてしまって。それが、里親さんとの最後の別れになりました。それで僕は、再び児童養護施設へと戻ることになったんです。

――その時はなぜ母親の家を選んでしまったのでしょう。

GO そこに関しても「養護施設や里親の家から出たい」という、自由への渇望だけが強かったんです。母親に会いたかったわけではなく、むしろ母親の家に行けば「里親さんの家よりルールが緩いだろう、母親は僕をコントロールできないだろう」という打算的な考えがあっただけで。母親を利用できる、みたいな。とにかく管理される生活から逃れて、自由でいたかった。