両親に知的障害があることから、生まれてすぐに乳児院へ預けられ、児童養護施設で少年時代の多くを過ごしたNEXT-GOさん(32)。

 YouTuberやラッパーとして活動する彼に、自分が置かれている環境に気づいたきっかけや母親に知的障害があることを知った経緯、一時的に暮らしていた母方の実家での日々などについて、話を聞いた。

NEXT-GOさん(32) 

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両親の似顔絵を書く授業で、親の顔が思い浮かばなかった

――ご自身が児童養護施設にいると理解したのは、いつ頃のことでしょうか。

NEXT-GOさん(以下、GO) はっきりと自分の境遇を理解したのは、小学3年生の時でした。それまでは、なんとなく周りの子と違うな、という漠然とした感覚だけで。

 でも、ある日の道徳の授業で「いつもお世話になっている両親に向けて似顔絵を描きましょう」っていう課題が出て。僕には描くべき親の顔が思い浮かばなかったんです。そうしたら先生が僕のそばに来て、周りに聞こえないようにそっと「児童養護施設の先生の似顔絵でも良いよ」と言ってくれて。その瞬間、頭の中が真っ白になりました。「僕には両親がいない?」って。

 先生は困ったような、申し訳なさそうな顔をしていましたね。その顔を見て、これは何か大変なことなんだと子ども心に察しました。

――物心ついた頃から児童養護施設で生活していたわけですが、良くも悪くも強く残っている思い出はありますか。

GO そうですね………たくさんありますけど、やっぱり特別だったのはクリスマス会。施設の子どもたち全員が集まって、ボランティアの人たちが持ってきてくれるケーキやお菓子を食べるんですよ。

 普段は規則正しい生活ですけど、その日だけは夜更かしも許されて。サンタクロース役の職員さんからプレゼントをもらう瞬間は、1年で一番ワクワクしましたね。それが小さな文房具セットでも、「自分だけのもの」って感覚がうれしくて。

 逆に辛かったのは、週末や長期休みに、他の子たちが親元に一時帰宅していくのを見送る時ですね。玄関で「いってきます」と手を振る友達の背中を見ながら、「自分には帰る場所がないんだ」みたいなものを突きつけられるんですよ。施設の先生たちは優しかったですけど、やっぱり親の代わりにはなれないので。