――里親の家から一度は母親と高齢者彼氏の家に戻るものの、また児童養護施設に戻ったそうですね。そこから荒れたそうですが。

GO 一度、外での自由を知ってしまったから、もう施設のルールには従えなくなっていましたね。母親の実家で生活していた時に、団地の悪ガキグループと夜遅くまで遊んでいたのがスリリングで楽しくて。

 BADBOYとかあのあたりのブランドのダボダボのパンツを穿き出したから、児童養護施設の職員さんたちもビックリしてて。襟足もガンガン伸ばして、今でいうところのやりらふぃー系というか。

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 施設に戻っても「俺は自由を知ったんだ」みたいな感じで虚勢を張って、職員さんに反抗的な態度をとったり。他の子たちにも悪影響が出るということで、半年後にまた児童相談所に送り返されて。

「このまま行ったら、お前は本当に何もできない人間になるぞ」

――落ち着くのはいつ頃だったんですか。

GO 中学2年生。児童相談所の先生たちが、僕の将来を本気で心配してくれて。「このまま行ったら、お前は本当に何もできない人間になるぞ」と、涙ながらに叱ってくれたんです。そこで初めて、自分の過ちに気づいて、ガッツリ反省させられました。そこからは人が変わったように勉強に打ち込んで。小4から小6の間は、合計1年以上まともに学校に行けていなかったので、最初は全教科20点台とかでしたけど、必死で取り返そうと頑張りましたね。

――高校には問題なく進学できたのでしょうか。

GO 必死に勉強した甲斐あって、なんとか無事に高校へ進学することはできたんです。でもやっぱり、周りの同級生との「差」は想像以上に大きかったですね。みんなが当たり前に持っている「普通の家庭」という背景が、僕にはない。友達同士がする部活の話や、家族旅行の思い出話、そういった他愛のない会話の輪に入ることが、当時の僕にはとにかく苦痛でした。

 それに、いくら中学で巻き返したとはいえ、小学校時代の学習の遅れは致命的で。高校の授業についていくのが、もう本当にやっとの状態。結局、高校2年生の時に、プツンと糸が切れたように高校に通うことが億劫になって、そのまま中退してしまいました。

――高校中退後、どのような仕事をしたのですか。

GO 本当に色々やりました。最初の頃は、福祉の方の知り合いの建設会社で土木作業員として働いたり、工場のライン作業をしたり、飲食店の店員も経験しました。

 そんな中で突然、僕の父親が見つかったと知らされて。会ってみたら父親にも知的障害があることがわかったんです。

次の記事に続く 「産んだなら、ちゃんと育ててくれ」障害者向けの作業所で出会った両親から生まれ…施設で育ったYouTuber(32)が語る、凄絶なトラウマ

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