「せめぎ合い」が必要
後藤田と交流を重ねるうちに、理解できたことがある。後藤田は人と関係を築く際に、平坦な関係の延長上に簡単に心を許すタイプではない。互いの波長を通わせるために、「せめぎ合い」にも似た時間を必要とするのだ。それは相手と向き合う真剣勝負なのであり、そこで深く触れ合うものがあると、後藤田はその地肌、柔らかな人間性を少しずつ顕わにするようになる。
「カミソリ」と呼ばれる後藤田の怜悧なイメージは、「せめぎ合い」を超えることができなかった者が一方的につくり出した側面があると私は思うのである。私の場合、雑談でたまたま後藤田の戦争体験に関わることを口にしたことから後藤田に受け入れられるようになったのであるが、「せめぎ合い」はその後も再燃することになった。
「カミソリ」後藤田の地肌の部分であるが、その原点を辿っていくと、一つの場面に行き着く。それは少年期の後藤田が父を失ったとき、徳島県の吉野川の中流域にほど近い、ある峠で演じられた。後藤田の原風景と言っていいだろう。私は、このときの体験を後藤田が述懐するのを幾度となく印象深く聞いていた。7歳の後藤田がいた峠に足を運んで風土や空気感を確かめた。小鳥の鳴く声のほかはまったく無音の世界であった。そして、この峠の光景を、後藤田の評伝の一つの核にしようと思うようになったのである。
※本記事の全文(約8000字)は、月刊文藝春秋7月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(保阪正康「後藤田正晴の逡巡〈中編〉」)。 全文では、下記の内容をお読みいただけます。
・戦後警察の地方局的肌合い
・評伝への後藤田の第一声は?
・田中角栄との連携
