昭和史研究者の保阪正康氏による新連載「忘れ得ぬ『昭和人』」が、「文藝春秋」で始まった。内閣官房長官や副総理などを歴任し、歴代の政権にも大きな影響力を持った政治家・後藤田正晴について論じた第一回を、一部紹介します。
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「歴史に呼ばれた者たち」
かつて私は『後藤田正晴─異色官僚政治家の軌跡』(文藝春秋、1993年)という評伝を刊行し、後藤田とは歴史や政治や人間をめぐって胸襟を開いて自由に対話する間柄になっていったのだが、はじめから良好な関係が築かれていたわけではない。むしろ齟齬(そご)のすえに繋がりが深まっていったという感がある。
1990(平成2)年の中頃のことと記憶している。1993(平成5)年に菊池寛が文藝春秋を創業してから70周年を迎えるにあたり、その記念出版として評伝ノンフィクションを執筆してくれないかと文春の役員から依頼された。対象となる人物については相談したいとのことだった。このシリーズによる書き下ろしノンフィクションには何人かの書き手が参加し、田原総一朗『日本コンピュータの黎明─富士通・池田敏雄の生と死』(1992年)、佐野眞一『遠い「山びこ」─無着成恭と教え子たちの四十年』(1992年)、中野不二男『インターフェロン 第五の奇跡─長野・岸田両博士と林原生物化学研究所の挑戦』(1992年)などが刊行されることになる。企画に興味を持った私は、黒澤明を書いてみたいと応じたのだったが、これは様々な事情から実現しなかった。そこで、次に私が名を挙げたのが後藤田だった。
私の目には、後藤田は極めて異色の官僚政治家として映っていた。当時、後藤田は内閣官房長官などの要職からは外れていたが、国連平和維持活動法案(PKO法案)成立をめぐる議論において、戦後民主主義的な平和主義の立場で主導的な役割を果たしていた。後藤田は「変わりゆく国際環境のなかで、平和主義に立つ日本の国是を守ったうえで、国際協力は最大限やればいい。だが、軍事による協力は一切すべきではない」と言い続けていた。また、左派的な理念による憲法九条の絶対化とは異なる形で、戦争体験世代の実感を込めて「護憲」を語っていた。
