「下町の太陽」のあともコンスタントにレコードを出し続け、「さよならはダンスの後に」といったヒット曲も生まれた。日本の叙情歌を歌ったレコードのシリーズは、辛辣な批評で知られた『暮しの手帖』編集長の花森安治から《うたっている日本語のひとつひとつに、倍賞さんの気持が通っている》と絶賛されている(『暮しの手帖』1973年9・10月号)。

倍賞千恵子「さよならはダンスの後に」(1965年)

のちに結婚する8歳下の作曲家と…

 40代半ばから毎年開催しているコンサートでは、自身のヒット曲だけではなく、子供のころから歌ってきた童謡なども披露している。そのコンサートで1986年、音楽監督が必要になり、ステージでよく共演していたコーラスグループ「ボニージャックス」に相談したところ、いい編曲家・作曲家がいるからと紹介された。それが、のちに倍賞と結婚する小六禮次郎だった。彼女の8歳下の小六は東京藝術大学を卒業後、若いころから映画やドラマの音楽を数多く手がけ、さらにコンサートの指揮や編曲など幅広い活動をしていた。

 倍賞は初めて会った際、いま「下町の太陽」を原キーのまま歌うのはきついので、ちょっとキーを下げてアレンジを変えてほしいと頼んだ。それから映画の海外ロケがあり、帰国後すぐに音合わせをしたところ、小六の編曲は元のメロディがわからないほどアレンジされていた。そこで倍賞が「あまりにも変えすぎなので」と再度注文して、キーを中間ぐらいに直してもらった。小六に言わせると《ちょっと打ち合わせの齟齬がありまして(笑)。それから、ずっとコンサートなどを手伝うようになりました》(『週刊金曜日』2022年12月23日・2023年1月6日合併号)。

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 その後、小六はレコーディングにも携わるようになった。倍賞としては音程をきちんととっているつもりが、よく注意され、「後々まで聴かれるんだから、最善の状態で出さなきゃいけない」と言われたりしたとか(『週刊文春』1994年12月15日号)。