国民的歌手といえば美空ひばりだし、国民的作家なら夏目漱石、いや司馬遼太郎か。では国民的画家と呼べるのは誰? 俄(にわか)に思い浮かばぬが、本来その座を占めるべきは葛飾北斎だろう。
江戸時代に生きた北斎は、90年に及ぶ生涯で無数の浮世絵版画や肉筆画を残した。威風堂々たる赤富士を描いた《凱風快晴》や、大波を劇的な構図に収めた《神奈川沖浪裏》は、誰しも目にしたことがあるはず。
紛れもない日本美術史上の巨星だが、その行状や作品には意外なほど謎が多い。市井の浮世絵師の地位など低いもので、伝わる史料が少ないのだ。
そこで本書だ。書名の通り、北斎の知られざる側面を明らかにせんとする意欲的なノンフィクションが出た。著者が着目し大きく取り上げたトピックスは二つ。
まずは北斎が西洋の美術界になぜ、どのように受容されていったかという点。たしかに北斎は海外での世評が高く、ときにはレオナルド・ダ・ヴィンチと比せられるほど。ちっぽけな版画作品が、《モナ・リザ》と並び称されたりするのだ。
そんな状況が生まれたのは19世紀後半のこと。日本の文物が欧州で大流行する「ジャポニスム」現象が起き、その中心は北斎の浮世絵作品であった。
モネら印象派の重鎮まで含め、北斎をほうぼうへ売り込んだのは画商・林忠正だった。彼の奔走ぶりにたっぷりページが割かれ、事の次第が紹介されていく。
もう一つの力点は、北斎が最晩年を過ごした信州・小布施の様子。同地の豪商・高井鴻山の知遇を得た北斎は、80歳を過ぎた身で小布施に長期滞在し、寺院天井画など大がかりな制作をいくつもこなした。
重要作が多いにも関わらず、小布施時代の北斎が言及されることは稀だ。著者は現地を訪れ北斎の姿を追い、北斎が小布施にもたらした影響をも探っていく。
齢を重ねてなお盛んな北斎の歩みも鬼気迫るが、その足跡を丹念にたどる著者の胆力もまた相当である。
こうやまのりお/1960年、埼玉県生まれ。96年、デビュー。2014年、週刊文春で「全聾の作曲家はペテン師だった!」を発表、大きな話題となった。取材テーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化と多岐にわたる。
やまうちひろやす/1972年生まれ。ライター。アート、文学その他について執筆。著書に『文学とワイン』(青幻舎)など。