『「右翼」の戦後史』(安田浩一 著)

 著者の安田は戦後右翼の実像に迫るため、今や伝説化した出来事の当事者に取材する。例えば三無(さんゆう)事件。1961年に旧日本軍将校や右翼学生によって企てられたクーデター未遂事件だが、首謀者の一人・篠田英悟を探し出し、取材を敢行する。御年90歳。古いアパートに一人で暮らす篠田は、一日中、室内で声を張り上げてアジテーション演説を行っていた。ドアを叩いても、耳が遠いせいか、応答はない。大家に相談すると、2階のベランダに梯子をかけ、声をかけるように言われる。「取材に来ました」という紙を見せると、「では、玄関からどうぞ!」と怒鳴るように言われ、インタビューがスタートする。

 松江騒擾(そうじょう)事件(1945年)の関係者、石原莞爾の東亜連盟の後継者、新右翼の当事者……。

 安田は全国を飛び回り、取材を繰り返すことで、戦後右翼の輪郭を示そうとする。しかし、取材をすればするほど、そのフォルムは逆にぼやけていく。結果的に、戦後右翼の一貫した相貌を描くことの困難に直面する。

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 右翼の主張は、時代に左右される。その時々の敵の設定によって、主張の視点と力点が変わるのだ。

 戦前の右翼にとっての敵は、「君側の奸」と見なした資本家や政治家たちだった。天皇の超越性を認めれば、万民は一般化され平等化される(=一君万民)というのが国体だとすれば、天皇と国民の間に介在して特権を握る人間など必要ない。天皇と国民を分断する「君側の奸」が存在することが、国民の不幸に繋がっている。その存在を抹殺すれば、天皇の大御心に包まれたロマン主義的ユートピア社会が現前する。そう考えた戦前右翼の担い手は、次々に要人暗殺テロ・クーデターを起こしていった。

 この平等なユートピアを志向するあり方は、社会主義への共感を伴った。大川周明はレーニンを絶賛し、北一輝は国家統制経済を主張した。彼らの論理は、マルクス主義と表裏一体のものとして存在した。

 しかし、戦後右翼はソ連の脅威から「反共」をテーゼとし、「親米」を主張するようになる。典型的なのは赤尾敏。街宣車には日の丸と共に星条旗が掲げられた。

 全共闘運動を背景に湧きおこった右派学生運動は新左翼を敵とし、左翼が衰退すると、中国・韓国を敵とするネット右翼が登場する。

 長年、右翼は権力と対峙してきたが、ネット右翼にその気概はない。「市民社会やマイノリティを威嚇(いかく)するだけの右翼など、あまりに惨めではないか」。安田の厳しい言葉が、現代右翼を突き刺している。

やすだこういち/1964年静岡県生まれ。フリージャーナリスト。『ネットと愛国』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』『ヘイトスピーチ』『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』など著書多数。

なかじまたけし/1975年大阪府生まれ。東京工業大学教授。『中村屋のボース』『パール判事』『血盟団事件』など著書多数。 

「右翼」の戦後史 (講談社現代新書)

安田 浩一(著)

講談社
2018年7月19日 発売

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