保阪 奥宮さんは飛行機乗りだから、敗戦前ならひとっ飛びだったでしょうが、混乱期でしかも軍人の権威も地に落ちていた時ですから、大変だったでしょうね。

戸髙 第二復員省では、『戦藻録』を借りてきて、まずは戦史編纂に重要だからと複本を作りにかかりました。タイプで清書して複製を作る作業です。

 それを進めている最中に、原本の一冊を黒島亀人(*3)が持って行って紛失したわけです。当然、「これは大変だ」と大騒ぎになったわけですが、覆水盆に返らず。

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*3 黒島亀人 1893~1965年。海軍少将。海兵44期。連合艦隊参謀、軍令部第二部長、大本営海軍部参謀など

 このタイプした複本は、黒島が紛失した部分の直前まであるわけです。第二復員省でそこまで打ち終えたのですが、作業はしばらく止まります。その後、日本出版協同が本にして出したいということになった。二復がお役所仕事でのんびりやるよりその方が早いということになり、昭和27(1952)年に前編、翌年に後編と二巻になって出ています。現行の原書房版よりも前の版です。

 複本を作る作業は止めたわけですが、この作業がもう少し早く進んでいれば、黒島に持っていかれる前にタイプ版ができた可能性があるので、とても残念です。

自分にとって都合の悪い記述を隠蔽しようとした黒島亀人

保阪 黒島亀人は、日米開戦の時に連合艦隊兼第一艦隊首席参謀を務めていた人物です。瞑想にふけりながら作戦を立てる「変人参謀」として有名です。山本五十六長官の覚えはめでたかった。黒島のこの『戦藻録』紛失事件は、「意図的な犯罪」だという疑いがあります。

山本五十六 ©文藝春秋

戸髙 宇垣家から借りた責任者は、大臣官房史実調査部長の富岡定俊(*4)なので、富岡さんが詫び状を添えて、無事だった原本を二回ぐらいに分けて宇垣家に返しました。富岡さんもあれには本当に往生したらしい。「申し訳ない、申し訳ない」と丁重に書いたそうです。

*4 富岡定俊 1897~1970年。海軍少将。海兵四五期。南東方面艦隊参謀長、軍令部第一部長など。戦後は史料調査会理事長。著書『開戦と終戦』(中公文庫、2018年)

 黒島亀人はその一件だけではなく、重要史料紛失の常習犯だった。土肥一夫(*5)さんが言うには、ひょっこり史実調査部にやって来て、資料のファイルを借り出しては、「すまん、なくしてしまった」ということが何度かあったようです。持って行ったきり帰ってこない書類がいくつかあると言っていました。

*5 土肥一夫 1906~1988年。海軍中佐。海兵54期。連合艦隊参謀兼副官、軍令部第一部第一課勤務など

 黒島は、自分の都合の悪い事実を、こういう手で隠滅していた。