1987年、世界的ヒットとなった3枚目のアルバム『BAD』をひっさげて行われた「BAD WORLD TOUR」。約1年半にわたるツアーの皮切りは後楽園球場。それも含め日本では1987年9月から14回、1988年12月に9回の公演が行われた。そこで体験した「生マイケル」の凄味とは……。
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ツアー序盤ではマイケルのパフォーマンスだけでステージを成立させていた
マイケル・ジャクソンの自身初のソロ・ワールド・ツアーとなった「BAD WORLD TOUR」は、1987年9月12日の日本公演からスタートした。
87年の日本公演だけでも、9月12日の後楽園球場を皮切りに3回、阪急西宮球場でも3回、さらに横浜スタジアムで5回、大阪スタヂアムで3回と計14回の公演が行われ、マイケルは1ヶ月以上日本に滞在していたことになる。
筆者はこのツアー、87年9月27日の横浜スタジアムの公演と、88年12月18日の東京ドーム公演を観に行った。そのうち強烈な印象を受けたのは、やはり初見の横浜スタジアムである。ようやくキング・オブ・ポップの本体を見ることが出来るという期待感に加え、序盤の後楽園球場の報道を見て、観る前から興奮がおさまらなかったのを昨日のことのように思い出す。
スタジアムの照明塔が消えたその瞬間、地響きのような大歓声が巻き起こり、ステージ上にスモークが焚かれる。ステージの床が蓋を開けるように立ち上がると、そこには強力なライトが埋め込まれ、床下からダンサー4人と共にマイケル降臨。仁王立ちのマイケルに観客の絶叫が轟き、「スタート・サムシング」でスタート。スタジオ録音よりもはるかに早いテンポで歌い踊り、曲の途中でピタリ!と停まる例のパフォーマンスに驚く。
ツアー後半では後方に電光掲示板が設置されていたが、まだ序盤の公演ではなく、至ってシンプルな照明のみでショーが進行していた。つまり、ツアーの当初は、マイケルのパフォーマンスだけでステージを成立させていたのである。ほぼ正面のスタンド席ではあったが、距離的にはマイケルもほぼ豆粒にしか見えない。それでも、ジャケットプレイやら幾多のアクションはよくわかった。動きが大きいのだ。



