野茂英雄のメジャー挑戦は、現在でこそ「日本野球界に革命を起こした偉業」と称賛されるが、1995年の表明当時は「わがまま」「無謀」と凄まじいバッシングを浴びていた。四面楚歌の状況下で、野茂はいかにしてメジャーへの扉をこじ開けたのか。
歴史的事件の生々しい裏側に迫る喜瀬雅則氏の新刊『革命前夜 追憶の近鉄バファローズ1994』(文藝春秋)より、孤立無援のエースが逆手にとった「ルールの盲点」と、知られざる極秘交渉のリアルをひもとく。(全3回の2回目/続きを読む)
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「『残ってほしい』とは言われましたが…」
1995年1月9日。
近鉄との契約更改交渉が最終的に決裂した野茂は、自らの夢でもあった「メジャー挑戦」を正式表明した。
「プロに入ったときから、大リーグでやってみたい夢を持っていました。FA権が取れるかどうかも分からないし、取れたとしても30歳を超えてしまう。自分の中で今、挑戦したい、そういう気持ちになりました。最初は複数年契約、代理人交渉を認めてもらおうという気持ちでしたが、時間を考えて、大リーグに行こう、挑戦しようと。球団からは『残ってほしい』とは言われましたが『意志が固いのなら』と送り出してくれるということです」
円満退団を強調し、近鉄への感謝も述べた野茂だったが、互いの主張が真っ向から対立した交渉の内容は、実にシビアなものだったという。
FA権取得まで、当時の野茂には1軍登録9年、通算1305日が必要だった。右肩痛でシーズン後半を棒に振った1994年がプロ5年目の26歳だったから、FA権取得まで残り4年半、つまり5シーズンが最低でも必要となり、その時なら31歳。故障による戦線離脱の期間が長引きでもすれば、さらにずれ込むことも容易に予測できる。
