全員、演技経験のない素人。リハーサルはなし

——主演のバニーン・アハマド・ナーイフさんをはじめ、出演者の多くが演技未経験だと伺いました。彼女たちの「演じていない」自然な表情を引き出すために、現場で最も大切にしたことは何ですか?

 主要な登場人物は全員、演技経験のない素人でした。そしてリハーサルは一切行いませんでした。ゼロです。実際、役者の誰一人として物語の全容を知りませんでした。意図的にそうしたのです。彼らのありのままの姿を保ちたかったので、彼らを「俳優」にしたくありませんでした。私たちは別の方法をとりました。「親睦セッション」を設けたのです。その時間を使ってゲームをしたり、話を分かち合ったりして、お互いの信頼関係を築きました。また、いくつかのルールを共有しました。第一のルールは、もしテイクを重ねても、それは「彼ら」のせいではないということ。技術的な理由かもしれないからです。第二のルールは、「カット」の声がかかるまでそのシーンの中にい続けること。第三のルールは、間違いなど存在しないということ。

映画『大統領のケーキ』

 「間違い」という概念は、学校制度から子供たちが持ち込むウイルスのようものです。芸術において、正解・不正解はありません。芸術は試験ではないし、あらかじめ考えられた特定の答えに従うものでもありません。この重荷を肩から取り除いてあげることで、私のキャラクターたちは解放されました。そうすることで、彼らは演じるのではなく、ただ自分自身として存在し、展開される一瞬一瞬を探索できるようになったのです。

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——こうした演技未経験の子供が主人公の映画というと、イランのアッバス・キアロスタミはじめ様々な映画を思い起こします。何か影響を受けた作品や監督はありますか?

 このプロジェクトの脚本を書き始めたとき、最初のインスピレーションとなったのはイタリアのネオレアリズモでした。しかし、それだけではありません。キアロスタミ、テオ・アンゲロプロス、溝口健二は、ロベール・ブレッソンやサタジット・レイなどと並んで大きな影響を受けた監督たちです。実際、劇中のあるシーンの動線(ブロッキング)やカメラワークは、溝口作品のあるシーンから直接影響を受けています。全般的に、私は多くの映画作家や作品から刺激を受けてきました。しかし、常に人間性について問いを投げかける作品に、より強く心を動かされることに気づきました。人間性を探求し、それについて問いを立てることが私の原動力であり、溝口、小津、タルコフスキーといった巨匠たちの作品にはそれが顕著に表れていると感じます。