星野源とは何者なのか。意外と明確に答えを持っている人は少ないのかもしれない。文筆家のつやちゃん氏は、星野源について語り出した人々が、「近年の音楽性は唯一無二の次元へと突入してきている」といった評は共通しつつも、それぞれ全く異なる話を始める光景を目撃した。
「話し終えたあと、皆が顔を見合わせて、きょとんとしてしまった」
音楽、演技、文筆……分野を絞らずに表現を続ける“アナーキーなポップスター”に迫った『星野源論』(新潮社)より、ここでは一部を抜粋してお届けする。星野源はなぜ「語りたいのに語りきれない」存在なのか?(全3回の1回目)
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それぞれの星野源論
ある日、研究者や編集者、批評家が集まった会合での出来事だった。とあるメディアの呼びかけによって、数人で食事をしながらさまざまな議論をしていたその会で、何かの流れで星野源の話になったのだ。誰かが「最近の星野源の音楽について皆さんどう思いますか?」と話を振ると、皆が口々に“私の星野源論”を語り出した。
詳細については記憶が曖昧だが、大体が「近年の音楽性は唯一無二の次元へと突入してきている」といった評だったと思う。しかしそれよりも興味深かったのは、そこで話される“私にとっての星野源”が、各々によって全く異なっていたことだった。音楽について問われたはずなのにどうしても話の照準がブレがちで、おおむね先のような結論にたどり着くも、その過程においては実に雑多な意見が飛び交う。
ある人は「昔、『大人計画』の舞台で観た演技の印象が強くてさ……」と語りはじめ、ある人は「ほら、あの曲の歌詞で書いてたことって『働く男』のエッセイで書いてたあの話とリンクするよね」と持論を展開し、またある人はSAKEROCK時代と今のソロ活動での音楽性の違いを喋りはじめた。ラジオ『星野源のオールナイトニッポン』でのエピソードを紹介する人もいた。さらには、アルバム『Gen』の話を持ち出して、「あれって、もうポップとかブラックミュージックとか、そういう言葉で説明する段階を越えているよね」と言う人もいた。そうやって一通りそれぞれが話し終えたあと、皆が顔を見合わせて、きょとんとしてしまったのだ。
つまり、会話の中で皆がそれぞれ自分の星野源像を語るのだが、その文脈がバラバラで多岐にわたりすぎていて、常に議論が霧の中を漂っているような空気になったのである。皆の、“なんとなく知っている”星野源の一面が次々に交錯し、ボタンをかけ違えたようなやり取りが続き、とはいえ全員が共有できる紅白歌合戦や「Family Song」でのサザエさん風衣装、恋ダンス、「うちで踊ろう」といった共通の話題もあるため、“なんとなく通じる”という形で成立してしまう異様な会話。最終的には、誰かが、「星野源ってなんだかよく分からないですよね……」とまとめ、「そうですねぇ……」と皆が口々に言い合い、話題は次のテーマへと移っていったのだった。
