「だいたい自給自足の時代やったから。買出しに行けるようになったしね」

 奥琵琶湖パークウェイが開通したことで気軽に買出しに行けるようになった。また、外部から訪れる人も激増し、町おこしとして4軒の宿が開業したという。

 しかし、徐々に客足が遠のき、ほとんどが廃業。現在は割烹旅館が1軒のみになってしまった。最も大きな施設だった国民宿舎も老朽化のため、2020年から休館している。

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遊歩道というより廃道という雰囲気
雰囲気たっぷり

 古老にお礼を言ってさらに奥に進むと、休憩できる東屋があり、ここで終点になっていた。全体的に廃れていて、どこまでが現役の遊歩道なのか判断がつかない。近江湖の辺の道は全長140キロという長大な遊歩道で、公式ホームページには“自然を楽しんでいただくために、最小限の整備しかしておりません”と書かれている。自己責任で楽しみたいところだ。

遊歩道の行き止まりには、東屋と案内板も立っていた。

裸足で神社の石段を上がる

 集落まで引き返し、菅浦の氏神様である須賀神社にお参りした。

須賀神社にお参りする
お祭りの日には、ここを山車が通っていたという

 立派な鳥居から長い参道を進むと、石段の前に“土足禁止”と掲示されている。手水の横には下駄箱が置かれ“参拝される方はスリッパをご利用下さい”と書かれている。

これより先は土足禁止

 気になったので調べてみると、昔からお参りの際には履き物を脱ぎ、今も氏子は裸足で参拝しているという情報が得られた。ここは郷に従ってみようと、あえて裸足で石段を上がる。虫や鳥の糞を踏まないように注意して歩いたが、石段を登ると社殿の前は砂利になっており、尖った砂利が足裏を刺激する。痛い。自分の不健康を呪いながら参拝を済ませた。大人になってから裸足で屋外を歩くことなんてまず無いため、いい経験ができた。

あえてスリッパを使わず裸足で参拝

菅浦文書から読み解く長老衆の歴史

 参道の右手に菅浦郷土史料館があったので、協力金を払って入ってみることにした。こぢんまりとした館内だったが、菅浦に関する資料が揃っていて、とても理解が進んだ。小さな一つの集落について、年表やエピソードが細かく記述されているのは、菅浦文書の存在があるからだろう。

 菅浦文書とは、鎌倉時代ら江戸時代にかけての菅浦集落の歴史が詳細に書き残された文書のことだ。須賀神社に秘蔵されていた“開けずの箱”を調査していたところ、1200点以上の文書が見つかった。惣村の暮らしぶりが具体的に記された文書は、日本の歴史を語る上でも非常に重要であることから、国宝に指定された。