高校時代の担任教師の証言
中学卒業後、武蔵越生高校に進学する。高校時代の担任教師が証言する。
「スポーツ推薦の特待生として入学しました。双子だったから家庭の事情を考慮し、1人分の学費は免除。当時は特に問題を起こすような生徒ではなかった」
だが、高校時代の木山は早々に挫折を味わう。
「レギュラーになる実力はなく、ベンチ入りしたことすらなかった。そして、肩を痛めて投げられなくなってしまった」(野球部員)
木山は「筋トレ」と「トラブル」で己の存在を証明しようとした。
「『負けたくない』と思っていたのか、体を鍛えていた。後輩が揉めていると『やれよ!』とけしかける。活躍している同級生にはオラつかないけど、後輩には当たりが強かった」(同前)
高校卒業後、地元の駿河台大学に進学。野球を続けたが、芽は出なかった。野球部メンバーが振り返る。
「肩くらいまである茶髪のロン毛で、普通の田舎の大学生風でした。2年生になって急に『辞める』と言って、辞めちゃったんです」
その頃、木山は西東京随一の歓楽街、立川という新天地に身を置き始める。06年、21歳の彼は、立川のスカウト集団Lの門を叩いたのだ。
この続きでは、▼Lの元幹部が語る木山の働きぶり、▼ナチュラルを「史上最凶のスカウト集団」と呼ばれるまで発展させた手腕、▼慶應義塾大学、京都大学卒の秀才らも取り込んでいった木山の人心掌握術などのトピックを詳しく報じている。記事の全文は現在配信中の「週刊文春 電子版」および7月9日(木)発売の「週刊文春」で読むことができる。

