暴かれた蓄妾家たち
一読、居並ぶ蓄妾家のベスト・ワンを選出すれば──。
▲(五一)古河市兵衛が、その名だ(数字は記事ファイルの番号)。第二章でもふれる足尾鉱毒事件の親玉である。記事は《鉱毒大尽》の称号をつける。「こちらの方面でも」第一人者だった、というわけだ。「側室」の数は六人、年齢も十六から三十六と多様。記事は、そして《この外に未だ二、三人ある由なれば分り次第に記す可し》と、恫喝の一句で締められている。
他には、前項でおなじみになった大石正巳。彼も、後半に再登場(それも二回にわたって)してくる。
抜き書きの人選には悩むが、代表として、二〇二四年に新札の肖像に祭られた人物の記事を二つ、引用しておこう。どちらも肖像画付き。万券のほうから。
▲(九〇)渋沢栄一 は深川福住町四番地の自宅に大坂より連れ来きたりし田中久尾(二十八、九)という古き妾あり。日本橋浜町一丁目三番地の別宅には元と吉原仲の町林家小亀こと鈴木かめ(二十四)なる妾を蓄う。
千円券のほうは。
▲(卅八)勲三等医学博士北里柴三郎 が新橋の近江屋とん子こと小川かつ(二十二)を大金にて身請けしたるは慥たしか一昨年春頃のことなるが、初めは飯倉四ツ辻に住わせたれども、その後麻布二ノ橋東町二番地警視丹羽五郎の旧宅を三千円余にて購あがない妾宅とし、かつとその叔母きく、としの両人及び下女石崎はつを住わせ近頃は川添の庭園を手入れ中なり。
明治のハードボイルド
現存する紙面の実物ではなく、復刻された文庫本でながめると、今日の読み物としては、いささか単調のきらいがなくもない。当時の読者大衆が体感したような、「ああ、奴もか」と、毎日記事を追っかけ、日々の糧かてにした臨場感は、もはや望めない。在るのは事実の堆積。膨大な調査を簡潔にまとめた記録ファイルである。
ただただ、事実の列挙。事実、個人情報の暴露。それ自体に語らせている。ストイックな記述である。人間は不在、事実のみが語る。これを明治のハードボイルド小説といってもいい(醜聞記事がなぜハードボイルドなのか? この説明は第五章でまとめる)。事実それだけが雄弁に語り、人間は背景に「沈黙」する。事実の背後には、堅実な調査、熟練の調エージェント査員の存在が在る。彼らを統括するマムシの憑かれたような眼光が光っている。
涙香は、例によって強気に、取材控えはまだ千人分はあり、もっと調査をつづければ二千も超えるべし、と大言を吹いている。
会心の「作品」といった手応えは充分だった。しかし、涙香が求めたのは、社会の道義的な覚醒だった。 この連載は、いうまでもなく、同年に明治民法が一夫一妻制を確立したことを受けている。涙香において、一夫一妻制の理想論、婦人の貞操問題への発言は目立つものだ。その意味では、『蓄妾の実例』は、彼の啓蒙家の一面が大きく突出した作例といえる。だが、彼の理想がどうであれ、世の中が迎えいれたのは、多くはスキャンダリズムの華々しさのみだったかもしれない。
